「悪魔は果たして存在するのか」―― かつてイエズス会の神父さんに投げかけた質問は、私自身が数十年にわたって考え続けた疑問でもあります。刑務所や拘置所で出会った犯罪者や病院で診療してきた患者さんたちと向き合い、同時に自分自身の内面を覗きこみながら、そしてまた聖書や文学に描かれた悪魔というものも手がかりにしながら、つらつらと考え私なりに出した結論は、やはり悪魔はいるだろうということです。(中略)これだけは断言できます。少なくとも私たち人間の心のなかには、悪魔的なものが確固として存在している、と。
解説
精神科医の著者は言う。―― ちょっと考えてみてほしい。派手に人が殺されるアクション映画を楽しんで見てはいないか。あんなやつ車にひかれればいいのに、などと思ったことはないか。
犯罪というのは、殺人にしろ強盗にしろ、そういった普通の人間が持つ欲望の実現である。
私たちは、人を殺す映画やゲームを殺人者の心になって楽しむことができる。もちろん、大部分の人は空想の世界で遊ぶだけで、現実の行為には走らない。それは、道徳や良心や理性といった、ちょっとした歯止めが働くからだ。
だが、その歯止めは、波打ち際に作られた砂の城さながらに脆い。ここまでは波が届かないから大丈夫と思っていても、少し強い風が吹けば高波に洗われ、消える。そして、それまで心と肉体の奥に抑えつけていたものが外側にあふれ出す。
犯罪者に、殺人なら殺人という行為に向けて走り出した瞬間について聞くと、意識的な行動ではなく、「ついフラフラッと」「気がついたら動いていた」などと口にする人が多かった。
そうした悪魔のささやきの特徴は、曖昧でぼんやりした心に働きかけてくる、ということなのだ。