政治家が政治を職業とするには、2つの類型がありました。「政治のために」生きる政治家と、「政治によって」生きる政治家です。
解説
この2つの類型の区別は、精神的な意味ではなく、経済的な側面にかかわるものである。
職業的な政治〈によって〉生きる人々は、そこに持続的な収入源を求めようとする人々だ。逆に、政治を持続的な収入源としていない人々は、政治〈のために〉生きる人々だということになる。
経済的な意味で政治〈のために〉生きるには、政治活動がもたらす収入に依存しないことが前提となる。簡単に言えば、十分な資産があるか、私生活において十分な収入を得る手段を確保している必要がある。
しかし、それだけでは十分ではない。経済的な活動から「手が放せる」こと、すなわち収入を得るために自分が常に働かなくてもよい状態にあることが必要だ。この意味で無条件に手が放せる人々は、年金や地代で生活している人々である。
国家や政党を指導する人々が、政治〈によって〉生きるのではなく、政治〈のために〉だけ生きる人々である場合には、政治指導者の後継者を調達する方法は、どうしても「金権政治的な」ものにならざるを得ない。
そして、この方法で選ばれた政治指導者層が、政治〈によって〉生きようとせず、自分の政治的な支配を個人的な利益獲得のために利用することはない、とは言えない。そのように振る舞わなかった指導者など、これまでいなかったほどだ。
これが意味するのは、財産のある職業的な政治家は、自分の政治的な仕事に対して直接に報酬を求める必要はないとしても、財産のない政治家は、どうしても直接に報酬を求めざるを得ないということである。
編集部のコメント
20世紀を代表するドイツの社会科学者、マックス・ウェーバー(1864~1920)。宗教社会学や法社会学、経済史など、幅広い分野で数多くの業績を残しました。彼の思想は、政治学者の丸山真男や、経済史学者の大塚久雄など、日本を代表する学者にも大きな影響を与えたといわれています。
プロテスタントの宗教倫理と職業労働、さらには近代資本主義との関連性を考察した社会科学の古典的名著、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の著者として、マックス・ウェーバーの名前をご存じの方も多いのではないでしょうか。
そのウェーバーが、ドイツの第一次世界大戦敗北(1918年)前後に行った2つの講演を収めたのが、本書『職業としての政治/職業としての学問』です。
1917年11月に行ったとされる「職業としての学問」の講演ではドイツの学生たちに対し、学者は「事実を確定すること」に専念すべきであり、自分の信念や価値を学生に押し付けるべきではないと述べています。
また、1919年1月に行われた「職業としての政治」の講演では、ドイツ革命の余波の中、革命運動に走る多くの学生たちを前に、政治という営みの本質や、政治家が備えるべき資質と倫理について語っています。
なお、「TOPPOINTライブラリー」の要約では、このうち「職業としての政治」を紹介しています。
世界が大きく揺れ動く時代にあって、政治や学問の役割はますます重要になっています。そうした今こそ、改めて読む価値のある名著だといえるでしょう。




