「水に流す」とは、今まであったことを、さらりと忘れ去ってしまうことである。過ぎてしまったことを改めて話にもち出したり、とがめ立てたりせず、無かったことにしようとする行為である。
われわれ日本人の行動様式をふりかえると、この「水に流す」傾向が極めて強いことに気づかされる。善くも悪くも、過去に対してわだかまりがなく、済んでしまったことは仕方がないという気分が支配的である。
解説
日本の川には、大きな特徴がある。それは、流れの速い川が多いということだ。
流れが速いことには、清浄さを保つという点で利点がある。土砂で水が濁っても、流れが速い川だと瞬く間に清浄さを取り戻せる。ゴミを捨ててもあっという間に押し流され、目の前の川はきれいになる。
こうした自然環境が、日本人の「水に流す」心情や行動様式を育んだといえる。
過去にこだわらず、責めず、忘れ、許す ―― 。この日本人の行動様式は、おだやかで優しい人間関係を維持する知恵として、また寛容な人間性の美点として、これまで受け容れられてきた。
だが今日は、好むと好まざるとにかかわらず、国際社会の文化、生活習慣に接する機会が増えている。そうなると、何事も「水に流す」という心情や行動様式は、トラブルを生む原因となる。
編集部のコメント
過ぎたことを咎めず、無かったことにする ―― 。
『〔新装版〕日本人はなぜ水に流したがるのか』は、日本人独特の「水に流す」心情を考察したユニークな文化論です。
著者は、国学院大学名誉教授の樋口清之氏。考古学者、人類学者として知られ、静岡県の登呂遺跡をはじめ参加・指導した発掘は400カ所に及びます。著書は200冊を越え、その中にはベストセラーとなった『梅干と日本刀』などがあります。氏は1997年に逝去されました。
日本人の間では、日常的に「水に流しましょう」という会話が交わされます。ですが、外国の人からすると、その心情や行動様式はまったく理解できないといいます。そうしたこともあり、国際化が進む近年では、トラブルの原因となることもあります。
なぜ、日本人に「水に流す」慣習が深く根付いたのでしょうか?
樋口氏は、豊かな水資源を有し、稲作による共同体を形成してきた長い歴史が関係していると説きます。そして、神社の神事から日本の村社会での民俗的風習まで、「水に流す日本人」の暮らし・文化について、図版を交えつつ次々と例証していきます。
『〔新装版〕日本人はなぜ水に流したがるのか』はビジネスパーソンにとって、日本文化の一側面を知ることのできる教養書といえるでしょう。それとともに、国際社会に生きる現代人として、「水に流す」という慣習の意義を改めて問い直すきっかけを与えてくれる本です。