1940年9月に日独伊三国同盟が締結された時、東京の街は「ヒトラー万歳! ムッソリーニ万歳!」と叫びながら提灯行列をする庶民の姿であふれ、お祭りさながらでした。
当時すでにヨーロッパでは第2次世界大戦が勃発しており、ドイツと手を組めばアメリカやイギリスと戦わなければならなくなるということはわかっていたのです。
にもかかわらず、日本が参戦したら自分たちの暮らしはどうなるのかと深く考えもせず、同盟締結を喜び、浮かれ騒いだ。
解説
この日独伊三国同盟締結のお祭り騒ぎを、少年時代に目の当たりにした精神科医の加賀乙彦氏は、当時も今も日本人の本質は変わらないという。
「郵政民営化に賛成か、反対か。国民に問いたい」 ―― そう述べ、当時の小泉首相が衆議院を解散してから投票日まで、日本中がお祭り騒ぎだった。
マスコミは小泉チルドレンを興味本位で追いかけ、政権は「数の力」で重要法案を通した。
日独伊三国同盟の締結当時、多くの人が時代の空気に流されたように、郵政選挙でも同様のことが起きた。かつても今も、日本人の本質は変わっていない。なぜ、日本人は流されやすいのか?
1つ目の要因は、好奇心旺盛だということ。その性向を時の権力者はうまく利用してきた。政治家と企業の贈収賄、官製談合、天下り…。こうした問題が浮上するたびに人々は憤るが、すぐに他の話題に関心は移ってしまう。そして誰も責任をとらないまま、同様の汚職が続けられてきた。
2つ目は、日本人の集団主義的傾向だ。集団から外されることを怖れていれば、どうしても、その場の空気や世の趨勢に流されてしまう。
3つ目にして最大の要因は、「考えない」人が多いこと。それは投票率にも表れ、1996年、2003年の衆院選の投票率は50%台にまで落ち込んでいる。
国民の多くが考えることなく、長期的ビジョンを示さないリーダーが運転する行き先不明のバスに、文句を言いつつも乗り続けてきたのである。
編集部のコメント
先進国の中では低水準の社会保障、勝ち組・負け組と格差をあおる社会…。今の日本で、幸せに生きることが難しいと感じる人は少なくありません。
そんな「幸せになれない日本人」の特性を解き明かし、幸福になるための発想の転換法を説いた本が、『不幸な国の幸福論』です。
著者の加賀乙彦氏は、精神科医にして多くの著作をもつ作家でもあります。
精神科医という仕事柄、氏は様々な人々と触れ合い、相手の内面に深く立ち入って話をする機会を得てきました。その経験から、本書では「実は日本人は自ら不幸の種まきをし、幸福に背を向ける国民性を有しているのではないか」という疑問が投げかけられます。どういうことでしょうか。
加賀氏は「第一章 幸福を阻む考え方・生き方」の中で、次のように述べています。
日本社会では古くから個人より集団が重んじられてきたため、日本人は場の空気を読んで自分を抑える傾向が強く、「個」が育ちにくい。また、日本人は他人にどう思われているか、どう評価されているかを気にする気持ちが強い ―― 。
他人を過剰に意識するということは、言い換えれば、自分の評価を他人に委ねるということです。そして、「自分で自分を評価できること、自分という人間がこれから変わっていく可能性を秘めていることを忘れてしまった時、人は自らを不幸へと追いやることになる」といいます。本書ではこうしたことが、著者の精神科医としての経験をもとに詳細に語られています。
タイトルにもあるように、本書は日本を「不幸な国」と呼びます。それは、憲法第十三条にある〈すべて国民は、個人として尊重される〉ということがほとんど空文になっている現状があるからだと、著者は「あとがき」で述べています。
日本という不幸な国で幸福をつかむのは難しいことかもしれないけれど、幸福と感じるか不幸と感じるかは、本人の考え方次第。本書は「不幸な時代」を生きる私たちに、そんな貴重な気づきを与えてくれます。