チェス盤を発明した男が王様に献呈したところ、王様は大層喜び、望みの褒美をつかわすと言った。そこでこの賢い男は米を所望し、チェス盤の最初のマス目に1粒、2番目のマス目に2粒、3番目に4粒……という具合に、前のマス目の倍の米を置いていき、その合計を賜りたいと申し出た。
王様はたやすいことだと承知したが、実際には倍、倍とただ置いていくだけで米粒は途方もない量になった。最終的には、米粒の数は2の64乗マイナス1粒になったのである。これは、積み上げればエベレスト山よりも高い。
解説
この逸話では、チェス盤の半分(32マス目)に至るまでは、米粒の量はそう多くなかった。それまでに王様が与えた米粒は40億粒。これは大きな競技場程度で、王様が賜る褒美としては妥当だ。だが、チェス盤の残り半分が進行するにつれ、米粒の数は加速度的に増えた。
このように、倍々ゲームでの増加、すなわち指数関数的な増加は人を欺く。始めはありふれた増え方に見えるが、時間の経過とともに、私たちを狼狽させるような増え方に転じるのである。
コンピュータの進化も、これと同じだ。米商務省経済分析局が、設備投資の対象に「情報技術」を加えたのは1958年のこと。ムーアの法則による集積密度の倍増ペースが18カ月ごとだと仮定すると、32回倍増した年は、2006年だ。
2010年、グーグルは完全自動運転車で米国の道路を1600km走破した、と発表した。こうした事例は、チェス盤の残り半分を進むにつれ次々に登場するデジタル・イノベーションの最初の例とみなすことができる。指数関数的な進化が私たちを驚愕させるのは、これからなのだ。
編集部のコメント
自動運転や生成AI ―― テクノロジーの進化は驚異的な速度で進み、人間の職域を脅かし始めています。『機械との競争』は、デジタル技術の急速な進歩が雇用と経済に与える影響を描いた警告の書です。
著者は、マサチューセッツ工科大学の2人の研究者。原著は、2011年にアメリカで自費出版され、国内外で大きな反響を呼びました。
当時、リーマン・ショックから数年を経て、世界は経済危機から脱しつつありました。にもかかわらず、失われた雇用は一向に回復しないまま。
経済学者たちは、その原因を様々に考察しました。例えば、ポール・クルーグマンは「需要不足」が、タイラー・コーエンは「強力な新発想の欠如」が原因だと指摘しています。
しかし著者らは、そのいずれとも異なる立場をとります。技術の進歩が速すぎて、多くの労働者がテクノロジーとの競争に負けている ―― これが真の原因だというのです。
その象徴として登場するのが、上掲のチェス盤の米粒の逸話です。初めはわずかな変化も、倍々で進むとやがて想像を超える規模に膨れ上がる。技術革新も同様で、当初は取るに足らない変化に見えても、やがて人間固有と思われた領域すら侵食していく…。その行き着く先は、「ごく一部の知的エリート」と「肉体労働者」に二極化した未来です。
邦訳刊行から10年以上。実際にAIの知能が人間を超えつつある今、本書の示唆はさらに重みを増しています。「自分の仕事が機械に奪われるのでは」という不安の正体を知り、備えるために、ぜひご一読ください。
なお、TOPPOINTライブラリーには、同著者らによる『ザ・セカンド・マシン・エイジ』と『プラットフォームの経済学 機械は人と企業の未来をどう変える?』の要約も収録しています。人と機械の未来を見通す上で、併読をおすすめします。