「人間の運命がちゃんと初めから定まっておるものなら、なんで釈迦や孔子が苦労したか。偉大な人が学問修養したのは、学問修養することによって人間を創ることができるからだ。人間が出来れば環境も創られる。確かに“命”というものは存在するが、人間はその命を知り、命を立てることができる。人間以外の他の動物にはできないことを人間はやることができる。即ち〈命を知り〉〈命を立てる〉ことができる。〈人間とはどういうものであり、いかにすればどうなるか〉ということを研究して、その研究に従って〈人間自らを創造する〉ことができるところに万物の霊長たる意味がある。命は我より作すものである」
解説
明の袁了凡という人の本に、こんな話がある。
ある男が、人相見にいろいろ自分の人生を当てられる。それで彼は、人生はなるようにしかならないと諦め、煩悩や欲望を一切捨てた。その後、人相見の予言通り、彼は科挙の試験に合格して役人となる。彼はますます宿命を信じた。
ある時、男は雲谷という偉い和尚に会う。和尚は男が人間ができていることに感心し、どんな修行をしたのかと聞く。男は、予言が1つも狂わないので余計なもがきを一切やめたと正直に答えた。
すると和尚はにわかに態度を改めて、「それではまことに君はくだらぬ男だ」と言う。上掲の言葉は、それに続けて和尚が語ったものだ。
こう説かれて、男は発憤して勉強し始めたところ、予言が全部外れだした。以前は死ぬ日まで予言されていたが、彼が悟ってからはそれも外れた。
人間は、自分で自分の「命」を創造することができる。だから学問修養をしなければいけない、というのが、この話の説くところである。
編集部のコメント
東洋思想の大家として知られる、安岡正篤氏(1898-1983)。
若くして漢学に通じた氏は、『王陽明研究』『日本精神の研究』等の著作で世に知られます。大正末期に「東洋思想研究所」を、次いで「金鶏学院」を創設。その後「日本農士学校」の開校や「師友会」での教化活動に尽力するなど、その生涯を学問と人材育成に捧げました。
また、政財界をはじめ各界リーダーの啓発・教化・指導に当たり、昭和を通じて「一世の師表」「天下の木鐸」と仰がれた人物でもあります。
そんな安岡氏が60代の頃に行った講演をまとめた本が『[新装版]知命と立命 安岡正篤 人間学講話』です。「人間学とは何か」「東洋哲学の精粋」「達人の人生哲学」の三篇を軸に、心を尽くして本来の自己を自覚し〈尽心、尽己〉、天から与えられた使命を知り〈知命〉、自己の運命を確立する〈立命〉といった一連の人間革命、自己維新の道筋を説いたものです。
その中で、学問修養によって自分の命(めい)を創造することができる〈立命〉について語られるのが、上掲の一節。安岡氏は、わかりやすい語り口で自ら運命を切り開くことの重要性を伝えています。
この本をはじめとする安岡氏の「人間学講話」シリーズは刊行以来累計70万部を超え、多くのビジネスパーソンに読み継がれてきました。その中でも本書は、運命を良きものとするか否かは自分次第であるという、人間のあるべき姿を私たちに教えてくれる名著といえるでしょう。




