「ビジョンを欠く」ということの最大の恐ろしさは、時代が変わっているのにそれと気がつかず、相変わらず前の時代のパラダイム(思考の範型)を追い求めることである。
解説
「ビジョンを欠く」ことの一例が、大正末期の日本だ。19世紀的な帝国主義のやり方が変わりつつある時に、日本は相変わらず力による帝国主義を推し進めた。
確かに、かつて米国などは露骨な帝国主義路線をとっていた。1907(明治40)年頃、米国は植民地であるフィリピンの独立運動を徹底的に弾圧した。しかし1918(大正7)年には、帝国主義反対を唱えたウイルソン米大統領の14カ条が発表されて、民族自決が前面に押し出される。そして、第一次世界大戦後には国際連盟が発足する。
こうしてわずか10年ほどの間に、世界の潮流はすっかり変わってしまったのだ。
それに対し日本は、ビジョンを欠いたまま、大きく変化した世界に向き合おうとしなかった。そのため、時代の新たな動きを読めず、結局、古い時代のパラダイムに固執するしかなかった。
つまり、すでに帝国主義的なやり方が終わりを告げていた時代に、植民地を次々に獲得することで国力を増す、という古いやり方を相変わらず推し進めたのである。そしてついには、満州帝国の建国や国際連盟からの脱退という愚かな行動に走る結果となった。