2025.9.8

編集部:西田

あなたは「大衆」? それとも「少数者」? 大衆の台頭に警鐘を鳴らす古典的名著

あなたは「大衆」? それとも「少数者」? 大衆の台頭に警鐘を鳴らす古典的名著

夏休み最終日、行楽地は多くの人で賑わう

 夏休み最後の週末、大阪・関西万博は開幕後トップクラスの混雑具合に――。
 博覧会協会は、大阪・関西万博の一般入場者数が、8月30日(土)は17万9000人、31日(日)は16万3000人だったと発表しました。
 開幕後の最多は6月28日の18万4990人で、それに迫る混雑ぶりです。
 万博以外にも、ニュースでは各地の行楽スポットが人で賑わう様子が映し出され、たくさんの人たちが夏休み最後の週末を楽しむ様子が伺えました。
 大型連休や長期休暇が終わりを迎える頃によく報道される、こうした「多くの人で賑わう行楽地」を見ていると、思い出す一節があります。
 今週は、その一節が書かれている名著、『大衆の反逆』(オルテガ・イ・ガセット 著/岩波書店 刊)をPick Upします。

 

「大衆」の台頭

 その一節とは、次のようなものです。

 

都市は人で一杯である。家々は間借り人で、ホテルは宿泊客で、列車は旅客で、カフェーはお客さんで、道路は通行人で溢れている。有名な医者の待合室は患者で、それほど時代遅れでない限り見世物は見物客で、浜辺は海水浴客で一杯といった具合だ。

(『大衆の反逆』 64ページ)

 

 何だか現代の「オーバーツーリズム」問題を見ているようですが、原著は1930年、今から100年近くも前の本です。
 私たちは、こうした様子を目にすると、もう少し空いたら行こう、とか、これだけ人気なら自分も行きたい、と思いはしても、それ以上のことはあまり考えないのではないでしょうか。
 ですが、『大衆の反逆』の著者のオルテガ・イ・ガセットは、これらのことから別のものを読み取ります。

 

私たちが見ているもの、私たちをそんなにも驚かせるものとは何だろうか。それは、文明によって創り出された諸々の施設や道具を占有する群集そのものの姿である。

(『大衆の反逆』 64~65ページ)


 この2文だけでも、どうやらオルテガは「群集」に対して良いイメージを持っていないらしいことがわかります。では、それはなぜなのでしょうか。
 オルテガは、この「群集」という概念を「大衆」という言葉に置き換えて、次のように書いています。

 

社会は常に二つの要因、少数者と大衆の動的統一体から成っている。少数者とは特別な資質に恵まれた個人もしくは集団であり、大衆は特別な資質を持たない人たちの集合体だ。(中略)良きにつけ悪しきにつけ、大衆とはおのれ自身を特別な理由によって評価せず、「みんなと同じ」であると感じても、そのことに苦しまず、他の人たちと自分は同じなのだと、むしろ満足している人たちのことを言う。

(『大衆の反逆』 67・69ページ)


 そして、オルテガにとっては、こうした「大衆」が社会の前面に現れたのが、最初に出てきた様々な場所の「混雑」だというのです。

 

あの事例はみな、大衆が社会の前面に躍り出て、これまでは少数の人に限定されていた施設を占拠し、文明の利器を自ら使用し、楽しみを享受しようと決意したことを示している。(中略)すなわち大衆が大衆であることをやめずに、少数者を押しのけ、取って代わったのだ。

(『大衆の反逆』 71~72ページ)

 

 注意すべきは、オルテガが説くのがいわゆる「選民主義」とは異なることです。オルテガは、人間を次の2つに区別した上で、前者が「少数者」、後者が「大衆」であるとしています。

 

    • ・自らに多くを要求して、困難や義務を課す人
    • ・自らに何ら特別な要求をせず、自己完成への努力をせずに、波の間に浮標(ブイ)のように漂っている人

 

 つまり、少数者と大衆の区別は、あくまで人間としての区別であり、社会階級による区別ではありません。オルテガの怒りは、そんな「大衆」が「少数者」に取って代わり、社会を動かす存在になってしまったということに起因するわけです。
 オルテガは、本書の第1部、書名にもなっている「大衆の反逆」の冒頭で、こう警鐘を鳴らしています。

 

大衆はその定義から見て、自分の存在を律すべきではなく、またそもそも律することもできず、ましてや社会を統治することもできないのだ。この事実は、ヨーロッパが今や、民族、国民、文化として被り得る最大の危機に見舞われていることを意味している。

(『大衆の反逆』 63ページ)

 

「大衆の反逆」は今日も?

 とはいえ、今日の感覚からすると、行楽地が人で一杯だからといって、それが「大衆」の台頭だと感じることは少ないかもしれません。そこに集まった人たちも、そう言われていい気はしないでしょう。
オルテガの懸念を今日に引き寄せて考えると、よりイメージしやすいのはSNSなどでの言論ではないでしょうか。

 SNSの進歩によって、誰もが世界に向けて言論を発信できるようになりました。
 そこでの言論は、「いいね」や「リポスト」の数でその「価値」が可視化される一方、目を凝らさなければ(返信やコメントなどを精査しなければ)1人1人の個人は見えません。そして「いいね」や「リポスト」の数が増えれば増えるほど、その意見は「優れたもの」とみなされやすくなります。
 このメカニズムで重要な役割を果たすのは、オルテガのいう「大衆」――「みんなと同じ」であると感じても、そのことに苦しまず、他の人達と自分は同じなのだと、むしろ満足している人たち――ではないでしょうか。彼らによる同調、拡散が、さらに多くの「大衆」を惹きつけ、ポストはますます広がっていきます。

 このようなSNSがもたらす影響は、『大衆の反逆』刊行時の時代背景を考えると、よりわかりやすくなります。
 オルテガが本書を書いたのは、ドイツでナチスが台頭しつつあった時代です。オルテガはこの動きを警戒し、次のように説いています。

 

ファシズムの相の下に、ヨーロッパに初めて、おのが行為の理由を相手に示すことも、また自己正当化も望まない人間、むしろ単純明快に断固として自分の意見を押し付けようとするタイプの人間が現われたのだ。

(『大衆の反逆』 151ページ)

 

 リアルタイムに、短文での投稿が多くなるSNSでの言論では、投稿が「言いっ放し」となることも少なくありません。そうしたSNSの性質は、オルテガの言う「単純明快に断固として自分の意見を押し付けようとするタイプの人間」にとっては扱いやすいものかもしれません。
 オルテガの次の言葉は、今日においても同様に警戒すべきものではないでしょうか。

 

大衆はその密度とおびただしい数を見れば誰の目にも明らかだが、自分と違う者との共存は願っていない。自分でないものを死ぬほど憎んでいるのだ。

(『大衆の反逆』 156ページ)

 『大衆の反逆』は、他にも「甘やかされた子供の心理」や「知的閉塞性」など、印象的な言葉で、社会に台頭する「大衆」のあり方を理解するカギを示しています。
 オルテガの言う「少数者」であり続けるための一助として、今こそ読んでみてはいかがでしょうか。

(編集部・西田)

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 「編集部員が選ぶ今週のPick Up本」は、日々多くのビジネス書を読み込み、その内容を要約している編集部員が、これまでに『TOPPOINT』に掲載した本の中から「いま改めてお薦めしたい本」「再読したい名著」をPick Upし、独自の視点から読みどころを紹介するコーナーです。この記事にご興味を持たれた方は、ぜひその本をご購入のうえ通読されることをお薦めします。きっと、あなたにとって“一読の価値ある本”となることでしょう。このコーナーが、読者の皆さまと良書との出合いのきっかけとなれば幸いです。

2022年1月号掲載

大衆の反逆

原著の刊行は1930年。共産主義のソ連が成立し、ドイツでナチスが台頭する中、社会の“大衆化”に警鐘を鳴らした書だ。「みんなと同じ」ことに満足し、少数者を踏みにじる大衆は、なぜ生まれ、世界をどう変質させたか。かつて著者が危惧し、論じた問題は遠い昔の話ではない。分断と不寛容が広がる今日、改めて読みたい名著である。

著 者:オルテガ・イ・ガセット 出版社:岩波書店(岩波文庫) 発行日:2020年4月
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