2022.9.5

編集部:西田

「沈黙の春」を現実のものとしないために 環境問題に警鐘を鳴らす先駆けとなった名著

「沈黙の春」を現実のものとしないために 環境問題に警鐘を鳴らす先駆けとなった名著

 地球上で、最も多く人間の命を奪っている動物は何か、ご存じでしょうか?

 ライオン? サメ? ヘビ?
 どれも恐ろしい生き物ですが、かのビル・ゲイツによれば、いずれも正解ではありません
 彼が2014年に自身のブログで公表した記事によると、答は「蚊」です
 この小さな虫がもたらす被害、年間に72万5000人。
 (ちなみに2位は「人間」で、47万5000人。戦争やテロなど、「人間の敵は人間」という皮肉な結果です。その次に挙げられている「ヘビ」が5万人だということを考えると、上位2つは文字通り「桁が違う」存在です)

 蚊がこれほど圧倒的な理由は、病気を媒介することにあります。
 マラリア、デング熱、日本脳炎。
 いずれも蚊を介して広がる感染症です。
 「人類の歴史は、感染症との戦いの歴史」と言われますが、蚊はその戦いの歴史の中で、強大な敵と言える存在でしょう。

 そんな蚊をはじめ、病気を運ぶ昆虫の駆除に大きな役割を果たしてきたのが、各種の殺虫剤(化学薬品)です。
 特に有名なのが、「DDT」。
 DDTは、マラリアを媒介するハマダラ蚊など、様々な害虫の防除に使われてきました。

 終戦直後の日本でも、発疹チフスを媒介するシラミの退治に用いられ、衛生の向上に役立ったとされています。
 DDTなどの化学薬品のおかげで、多くの人々の命が救われたことは間違いありません。
 ですが、そうした功績の一方で、これらの化学薬品には、見過ごせない負の側面もありました
 今週Pick Upするのは、その負の側面に焦点を当てた名著、『沈黙の春』(レイチェル・カーソン/新潮社)です。
 原著の刊行は1962年。
 今から60年も前に環境保護の重要性を説き、「歴史を変えた」ともいわれる1冊です。

 著者のレイチェル・カーソンは、この本の冒頭で、“寓話”として次のような町の姿を描きます。

 

自然は、沈黙した。うす気味悪い。鳥たちは、どこへ行ってしまったのか。
(中略)
春がきたが、沈黙の春だった。いつもだったら、コマツグミ、ネコマネドリ、ハト、カケス、ミソサザイの鳴き声で春の夜は明ける。そのほかいろんな鳥の鳴き声がひびきわたる。だが、いまはもの音一つしない野原、森、沼地――みな黙りこくっている。(注:太字は筆者。以下同じ。)

 

 このありさまをカーソンは、魔法にかけられたのでも、敵におそわれたわけでもない、“人間がみずからまねいた禍い”だと指摘します。
 いったいどういうことか?
 カーソンが問題視したのは、農作物の害虫駆除や庭の除草など、経済活動・社会生活のあらゆる場面で、人間が無規範に化学薬品を乱用すること。それが取り返しのつかない悪影響を環境にもたらす、と彼女は説いています。
 (言い換えれば、カーソンは化学薬品の使用を一律に厳禁すべきだ、と言っているわけではありません

 

虫や雑草やネズミ類など――近代人が俗に言う《邪魔もの》をやっつけるために、一九四五年前後から基本的な化学薬品が二百あまりもつくり出され、何百何千の勝手な名前をつけて売り出されている
(中略)
農園でも庭園でも森林でも、そしてまた家庭でも、これらの薬品はやたらと使われている。だが《益虫》も《害虫》も、みな殺しだ。鳥の鳴き声は消え、魚のはねる姿ももはや見られず、木の葉には死の膜がかかり、地中にも毒はしみこんでいく。そして、もとはといえば、わずか二、三の雑草をはびこらせないため、わずか二、三の昆虫が邪魔なためだとは…

 

 かなり激しい論調にも思えますが、これは、当時の社会情勢に対し、カーソンがそれだけ強い危機感を持っていたことの表れでしょう。
 土壌、地下、川、海、空、そして人間を含む生命。
 互いにつながり合った地球の営みの中で、無規範な化学薬品の乱用がもたらす悪影響を、カーソンは緻密に描いていきます。
 その詳細は、要約をご覧ください。

 さて、そんな『沈黙の春』ですが、刊行当初、日本では必ずしも大きく注目されたわけではなかったようです。
 1978年に刊行された『日本人の人生観』(山本七平/講談社)の中に、こんな一節があります。

 

公害に対する警告はアメリカではずいぶん早くて『沈黙の春』などが出ましたのはたしか一九六〇年ごろで、これは日本でも翻訳されて新潮社から出たと思いますが、そのときはだれも見向きもしない。こういうことをしていると未来はこうなる、だからそこから逆算して現在はこうしろという発想がわれわれにできないわけです。できないですから、それが現実に問題になったときに急激かつ過敏に対応するという形になるわけです。

 

 地球環境問題が世界的な重要課題となっている今日からすると、「だれも見向きもしない」というのは少し意外な気もします。

 ですがこのことは、カーソンがいかに先進的だったか、未来から現在を逆算する発想がいかに難しいのかを、よく表しています。

 『沈黙の春』以降、世界は、地球温暖化など様々な環境問題に取り組んできました。
 今後も、現時点では想像もつかないような新たな問題が生まれる可能性があります。
 これらの問題に取り組むに当たって、『日本人の人生観』が指摘する(そして、カーソンが持っていた)“こういうことをしていると未来はこうなる、だからそこから逆算して現在はこうしろという発想”は、重要な考え方ではないでしょうか。
 そして、こうした発想ができてこそ私たちは、国連の温暖化サミットで“未来の世代の目は、あなた方に向けられています”と訴えた当時16歳のグレタ・トゥーンベリさんの言葉を、正面から受け止めることができるように思います。

 気候変動の影響か、四季の中で春と秋が短くなっていると言われることもある昨今。
 「春がきたが、沈黙の春だった」とカーソンが描いたように、いつか「春はこなかった」という日が訪れはしないか。
 未来を見つめ、“私たちは、今や分れ道にいる”と説いたカーソンの『沈黙の春』は、60年を経て今なお、そして今こそ、読まれるべき名著と言えるでしょう。

(編集部・西田)

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 「今週のPick Up本」では、ビジネス書に日々触れている小誌の編集部員が、これまでに要約した書籍の中から「いま改めておすすめしたい本」「再読したい名著」をご紹介します。次回の“Pick Up本”もお楽しみに。

2020年7月号掲載

沈黙の春

自然を破壊し、人体を蝕む化学薬品。本書は、その危険性に対する認識がまだ十分でなかった1962年に刊行され、化学薬品乱用の恐ろしさを世に訴えた。水や土壌の汚染、害虫の大発生、そして化学物質による発癌…。地球環境問題が深刻化している今、改めて著者の警告に耳を傾けたい。半世紀を超えて読み継がれる名著である。

著 者:レイチェル・カーソン 出版社:新潮社(新潮文庫) 発行日:1974年2月

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