毎年、夏になると書店で楽しみにしているフェアがあります。それはKADOKAWA、新潮社、集英社が企画する「夏の文庫本フェア」。中高生を中心とした若年層向けの小説やエッセイが主にラインナップされていますが、中には硬派なノンフィクションや評論も。普段気づかない名作に出会える機会として、フェア棚をじっくりとながめるのが私の恒例行事となっています。
先日、書店でフェア棚をのぞいていたところ、集英社文庫の「夏の1冊(ナツイチ)」の棚で「へえ、こんな本を選んでいるのか。確かに、今読んでほしい名著かも」と感心した本を見つけました。それが今週Pick Upする『文明の衝突』(サミュエル・ハンチントン 著/集英社 刊)です。
冷戦後に起こる紛争の原因を予測
『文明の衝突』の原著刊行は1996年、今から30年近く前です。東西冷戦が終結した後の世界において、紛争の原因となるのは共産主義や資本主義といったイデオロギーではなく、「文明の違い」であるとの仮説を示した本書は、世界的な議論を巻き起こしました。
国際政治学者のハンチントンによれば、冷戦時代の世界は民主主義国・共産主義国・第三世界という3つのブロックに分かれていたといいます。しかし、1980年代後半に共産主義世界が崩壊すると、世界は次のように変化しました。
冷戦後の世界では、さまざまな民族のあいだの最も重要なちがいは、イデオロギーや政治、経済ではなくなった。文化がちがうのだ。民族も国家も人間が直面する最も基本的な問いに答えようとしている。「われわれはいったい何者なのか」と。(中略)現在、国家をグループ分けする場合に最も重要なのは、冷戦時代の3つのブロックではなく、むしろ7つあるいは8つを数える世界の主要文明である
(『文明の衝突』 23ページ/ページは単行本のもの。以下同)
本書が提示する世界の主要文明とは、中華、日本、ヒンドゥー、イスラム、西欧、ロシア正教会、ラテンアメリカ、アフリカの8つです。先の引用で「7つあるいは8つ」としているのは、アフリカ文明を「存在すると考えた場合」と留保しているからでしょう。
では、これらの文明の衝突は、どのような場所において起きるのでしょうか。ハンチントンは、文明間の「接点」で起きる、と述べています。
断層線(フォルト・ライン)の戦争
冷戦が終結した後、世界各地で様々な紛争が起こりました。例えばユーゴ紛争、湾岸戦争…。本書では、モロッコの著名な学者が湾岸戦争を「文明間の最初の戦争」と呼んだことに触れます。しかし、ハンチントンは「実際にはこれは2番目」と言い、最初の文明間の戦争をソ連とアフガニスタンとの間に起きたアフガン戦争(1979~89)とします。
ハンチントンはこの2つの戦争を、文明間の紛争への転機と見ました。
この2つの戦争は、実際には、異民族間の紛争や異文明に属する集団同士での、異文明間の接点における断層線の戦争(フォルト・ライン戦争)が多発する時代へ移る、転機となる戦争(トランジション戦争)に変化していった。
(『文明の衝突』 373ページ)
ハンチントンは、異なる文明の間に起こる戦争を「フォルト・ライン戦争」と呼びました。例えば、アフガン戦争はロシア正教会文明とイスラム文明の衝突とみることができるでしょう。この戦争の持つ意味を、ハンチントンはある研究者の言葉として次のように述べています。
それは「民族主義や社会主義の基準ではなく」、イスラムの行動基準にのっとっての、外国勢力にたいして成功した初めての抵抗だった。それはジハード(聖戦)として戦われ、イスラムの自信と勢力が飛躍的に高まることになった。
(『文明の衝突』 374ページ)
『文明の衝突』の出版以降、フォルト・ライン戦争と呼べるような争いは、世界各地で起こっています。ハンチントンはこうした戦争について、「永久に終わることはめったにない」と悲観的な予測をします。
「すべての戦争はかならず終わる」。これが通常の考え方だ。フォルト・ライン戦争もかならず終わるのだろうか? 答えはイエスでもあり、ノーでもある。フォルト・ラインの暴力は一時的には完全におさまるが、永久に終わることはめったにない。フォルト・ライン戦争では、しばしば停戦、休戦、停戦協定などで戦闘は休止するが、主要な政治的問題を解決する包括的な平和協定は結ばれない。
(『文明の衝突』 446ページ)
終わりの見えないロシア・ウクライナ戦争は、ロシア正教会文明と西欧文明の戦いといえるかもしれません。ハンチントンの予測が正しければ、もし停戦が実現したとしても、それはつかの間の平和に過ぎないのではないか ―― 。そう思わされます。
実際、一時停止と再発とを繰り返すイスラエル・パレスチナ紛争などは、その見本として、私たちの眼前に存在しているといえるでしょう。
本書は、大規模なフォルト・ライン戦争を防ぐ手段として次の2つを挙げています。
- ①各文明の中核国家(西欧文明ならアメリカ)が他の文明内の衝突に介入しないこと
- ②各文明の中核国家が交渉して自分の文明にかかわる争いを停止させること
こうしたルールを認めて、文明同士がより対等な関係となれれば争いは収まるかもしれません。しかし、それは生易しいことではない、とハンチントンは述べています。
西欧文明が、ロシア正教会文明やイスラム文明を自らと対等にみなすことができるか――そう想像してみれば、その難しさがわかるのではないでしょうか。
『文明の衝突』の価値
冷戦終結後から現在に至るまで、世界の各地域で見られる紛争や戦争。それらの原因を解き明かす1つの視点を提供してくれるものとして、『文明の衝突』が読まれる価値は30年近くを経てもなくなることはありません。むしろ、そうした衝突が目に見えて増加しつつある今日の方が、より価値が高まっているといえるでしょう。
ただし、本書は刊行時より議論を巻き起こし、多くの批判を浴びたことも事実です。
東京大学教授のイスラム研究者・池内恵氏は、こうした「同世代の専門家からは、粗が目立つ、問題が多いと評判が悪い」「しかし現実に大きな影響を及ぼしている」類の本をどう受け止めればよいのか、スケールの大きな見方を示しています。
もし人類社会が一度(中略)崩壊したとしよう。300年後あるいは500年後にようやく蘇った人類が例えば海中深く沈んだ壺の中から、『文明の衝突』の1冊、あるいはその断片や要約本を発見したならば、どうだろう。滅びた社会の失われた記憶を、蘇った人類は貪るように読むだろう。(中略)次の人類は、過去の人類の忘れられた文明の姿を、壺の中から発見した『文明の衝突』から必死に思い起こそうとするだろう。(中略)そうやって、人類はかろうじて過去を甦らせ、(間違いも含めて)記憶をつないできたのである。
(「『文明の衝突』と書物の運命」/『公研』2021年11月号「めいん・すとりいと」)
未来の人類が『文明の衝突』を読んだ時、過去の人類はこんなことで争いあっていたのか、と驚くのか、もしくは昔も同じようなことで争っていたのか、と共感するのか、どちらになるのでしょうか?
『文明の衝突』を挫折せずに読むには
『文明の衝突』は、ビジネスパーソンの国際社会に関する教養を高める1冊です。夏季休暇の折にでも、一度手に取ってみてはいかがでしょうか。
ただ、本書は単行本で550ページ超、文庫本なら上下巻で計600ページ超という大部の書です。そのため、最初から順に読もうとすると挫折する方もいるかもしれません。
本書は5部構成となっており、「文明の衝突」そのものを論じているのが第4部です。そこで、挫折しそうに思う方には、まず文明について解説する第1部を読み、次に第4部を読む。その後で第2部、第3部、第5部を読む、という方法を試みることをおすすめします。
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冒頭に述べたように、『文明の衝突』は集英社文庫の夏の1冊に選ばれています。このフェアのために作られた小冊子をめくると、『文明の衝突』の隣には、夏目漱石の『坊っちゃん』が載っていました。西洋と東洋の文学の挟間で思い悩んだ漱石が、精神的な「文明の衝突」を経験した1人であることを思えば、この並びは偶然にしてはよくできているなと感じました。
(編集部・小村)
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「編集部員が選ぶ今週のPick Up本」は、日々多くのビジネス書を読み込み、その内容を要約している編集部員が、これまでに『TOPPOINT』に掲載した本の中から「いま改めてお薦めしたい本」「再読したい名著」をPick Upし、独自の視点から読みどころを紹介するコーナーです。この記事にご興味を持たれた方は、ぜひその本をご購入のうえ通読されることをお薦めします。きっと、あなたにとって“一読の価値ある本”となることでしょう。このコーナーが、読者の皆さまと良書との出合いのきっかけとなれば幸いです。
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