人は「朝三暮四」の猿を笑えるか?
「朝三暮四」という故事があります。
昔の中国で、ある人が自分の飼っている猿に栃の実を上げることにした。最初に朝3つ、暮れ4つという与え方を提案したところ、猿たちは怒り出した。次に朝4つ、暮れ3つという与え方を提案したところ、猿たちは喜んだ、という話です。
目先の違いに囚われて同じ結果であることに気づかない、という状態を指摘する言葉として知られています。
現代を生きる私たちは、こうした猿の姿を見て「何と愚かなんだろう」と笑います。
ですが、私たちは果たして猿を笑えるほど合理的な存在なのでしょうか?
今週Pick Upするのは、その疑問に認知心理学の観点から答える本、『バイアスとは何か』(藤田政博 著/筑摩書房 刊)です。
手術の選択肢
本書では、こんな実験を紹介しています。
あなたが肺がんであることがわかったと想像してください。放っておくことはできず、入院して治療を受ける必要があります。治療には治療法Aと治療法Bがあります。そのどちらかを選ばなくてはなりません。
治療法Aを選ぶと、治療直後の生存率は90%です。そして、1年後の生存率は68%、5年後の生存率は34%です。治療法Bを選ぶと、治療直後の生存率は100%です。治療法Bの1年後の生存率は77%、5年後の生存率は22%です。もしあなただったら、どちらを選ぶでしょうか?(『バイアスとは何か』 61~62ページ)
どちらを選ぶか決まったら、次の2つの治療法についても、どちらを選ぶか考えてみてください。
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- 治療法C:治療直後の死亡率10%。1年後の死亡率は32%、5年後の死亡率は66%。
- 治療法D:治療直後の死亡率0%。1年後の死亡率は23%、5年後の死亡率は78%。
治療法A or Bと治療法C or D、それぞれどちらを選んだでしょうか。
最初の質問では治療法Aを選んだが、後の質問では治療法Dを選んだ、ということはないでしょうか?
お気づきの通り、治療法Aと治療法Cはまったく同じもので、同じく治療法Bと治療法Dもまったく同じもの。単に生存率と死亡率を入れ替えただけです。
ですが、実験によると、最初の質問では治療法Bを選ぶ人は31%だったにもかかわらず、後の質問では治療法D(治療法Bと確率的にはまったく同じもの)を選ぶ人が68%に増えたといいます。
何が、その違いを生んだのでしょうか。
『バイアスとは何か』では、実験を行った研究者グループの推測として、「死亡するリスク」が目立つかどうかが回答に影響を与えたのではないか、としています。
確かに「死亡率10%」と言われると、「生存率90%」よりも自分の死が迫っているように感じられます。特に「治療直後の死亡率10%」と言われてしまうと、「手術が失敗するってこと?」と不安に囚われるのではないでしょうか。
このように私たちは、同じことでも見せ方1つで判断が大きくぶれることがあるのです。
本書では、このことを「フレーミング」として、次のように解説しています。
フレーミングは枠をつける、というような意味で、同じ問題や情報でも、提示の仕方でまったく違った印象を与え、違った判断を引き出す現象に関して言われます。確率判断の提示の仕方から受けるバイアスと言えるでしょう。
(『バイアスとは何か』 61ページ)
このフレーミング効果をはじめ、私たちは様々な「バイアス」によって判断を左右されて生きています。
『バイアスとは何か』は、そうしたバイアスを自己認識や対人関係などに分け、その仕組みを解明した本です。
「聞く前から知っていたよ」と思ってしまう“後知恵バイアス”、「やっぱり私の思っていたことは正しかった」と思ってしまう“確証バイアス”、「自分には良いことは起き、悪いことは起きない」と思ってしまう“楽観バイアス”などなど、本書で紹介されるバイアスは、振り返ってみれば誰もが身に覚えのあるものばかりです。
バイアスは悪か?
これら様々なバイアスを突きつけられると、「自分はこれまで、一体どれほど歪んだ意思決定をしていたんだろう」と悩んでしまうかもしれません。
「バイアスのかかった見方」などという使われ方をするように、バイアスという言葉には好ましくない印象がつきまといがちです。
ですが、それ自体も“バイアス”かもしれません。
バイアスには悪いことばかりではなく、良い点もあるのです。
本書は、そのメリットを次のように書いています。
合理的判断を邪魔するバイアスをなぜ人間は持っているのでしょうか。それはバイアスがあるほうが、心理的にも、また生物として生き残るうえでもメリットがあるからだと考えられます。(中略)
たとえば、自分自身を実際よりもいいものだと考える「自己高揚バイアス」(中略)があれば、精神的にポジティブに過ごすことができますし、周囲の他者とも積極的に関わることができ、良い関係を維持できるでしょう。(『バイアスとは何か』 27~28ページ)
肉体的に弱い生物である人間が、長い生存競争の過程で淘汰されることなく生き延びてこられたのは、周囲の他者と良い関係を築き、協力できたから。
そこにバイアスが重要な役割を果たしてきたと考えると、バイアスを見る目も変わるのではないでしょうか。
バイアスがなければ、そもそも私たちは今、存在していなかったかもしれないのです。
バイアスに振り回されないために
とはいえ、近年の激変する社会環境下では、長い年月の間にゆっくりと築かれてきたバイアスでは対応できない場面に遭遇することもしばしばです。
SNSでの投資詐欺やフェイクニュースなどが頻発する今日、気づかないうちに自分のバイアスにつけ込まれて被害にあった、という事態は避けたいもの。
では、バイアスのメリットは受けつつ、それに振り回されないためにはどうすればよいのか?
別の本からになりますが、認知心理学の視点から詐欺の手口を検証した『全員“カモ” 「ズルい人」がはびこるこの世界で、まっとうな思考を身につける方法』(ダニエル・シモンズ、クリストファー・チャブリス 著/東洋経済新報社 刊)の、次のようなアドバイスは有用ではないかと思います。
「少し受け入れ、多く確認する」
(『全員“カモ”』 16ページ)
全面的に受け入れるのでも、完全に疑ってかかるのでもない。基本的には役に立つと考えた上で、それを悪用されてはいないか、落とし穴にはまっていないかを確認する、という姿勢です。
冒頭で触れた朝三暮四の猿たちは、こんな風に考えることもできたかもしれません。
――この飼い主は、文句を言われたらすぐ意見を変えるような人間だ。朝3つ暮れ4つだと、暮れまでの間に何かあって、やっぱり4つやるのは無しにすると言い出すかもしれない。であれば、朝に4つもらっておいた方が得に違いない――。
「少し受け入れ、多く確認する」ことを実践した上で喜んでいれば、猿たちも後々までバカにされずに済んだでしょう。
意味のある世界認識
ところで、『バイアスとは何か』はもちろん様々なバイアスとその仕組みについて解説する本ではあるのですが、一方でそれに留まらない、やや哲学書的な側面を持った書ともいえるかもしれません。
特に、第6章の「改めて、バイアスとは何か」は、そうした思索が読み取れる章です。
私たちが自分にとって意味のある世界認識を、自分自身の五感からくる情報などを手がかりとして作り出していくときの癖が、バイアスであるといえます。
(『バイアスとは何か』 249ページ)
この指摘は、人間とは何か、という問いに対する1つの答えを示しているように思えます。
「生存率90%」も「死亡率10%」も、現象としては同じ。それでも前者では安心し、後者では不安になるとするならば、そこには異なる「意味」が込められているということです。
世界をただ「ありのままに」認識するのではなく、自分にとっての「意味」を与える――。
その1つの形がバイアスだとするならば、バイアスは、その人をその人たらしめるものといえるのではないでしょうか。
人間にしかできないことは何か、という問いは、生成AIの発展によって誰もが向き合わざるを得ない問いになりつつあります。その問いの答えに、バイアスは何らかのカギを握っているのかもしれません。
(編集部・西田)
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「編集部員が選ぶ今週のPick Up本」は、日々多くのビジネス書を読み込み、その内容を要約している編集部員が、これまでに『TOPPOINT』に掲載した本の中から「いま改めてお薦めしたい本」「再読したい名著」をPick Upし、独自の視点から読みどころを紹介するコーナーです。この記事にご興味を持たれた方は、ぜひその本をご購入のうえ通読されることをお薦めします。きっと、あなたにとって“一読の価値ある本”となることでしょう。このコーナーが、読者の皆さまと良書との出合いのきっかけとなれば幸いです。
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