2023年も、残すところあと2週間となりました。年の瀬が迫る中、年内に終わらせなければならない仕事に追われる方も多いでしょう。
そんな忙しい日々にこそ、立ち止まって一読をお勧めしたい本があります。それが、今週Pick Upするエッセイ集『無所属の時間で生きる』(城山三郎 著/新潮社 刊)です。
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著者の城山三郎氏は、経済小説の開拓者として知られる人物です。氏は本書の中で、タイトルでもある「無所属の時間」について、こんなエピソードを披露しています。
戦後最大の財界人石坂泰三を調べていて、幾日か出張するとき、空白の1日を日程に組みこんでいることに、私は注目した。
旅先で好奇心の湧いた場所や人を訪ねるためもあるが、ただ風景の中に浸っていたり、街や浜辺を散歩したり。経団連会長や万博会長など、日本でいちばん忙しい男であるはずの時期でも、そうであった。
その空白の1日、石坂は200とか300とかの肩書をふるい落とし、どこにも関係のない、どこにも属さない1人の人間として過ごした。(『無所属の時間で生きる』 18ページ)
石坂氏のように数百ということはないにせよ、現代の私たちは様々な集団に「所属」して生きています。会社の課や係。同期のグループ。SNSや地域のコミュニティ。さらには家族…。
所属することにはもちろん大きな恩恵があるわけですが、同時にそれは自分を集団に適応させること、言い換えれば自分という「個」を薄れさせていく側面も有しています。
苦手な仕事でもやらなければならないし、みんなの意見を無視して自分の意見だけを押し通すわけにもいかないし、ケンカをしてもどこかで仲直りをしなければいけない。
「忙しさ」(=「心」を「亡くす」)の一因は、そうした兼ね合いの中で、自分よりも集団を優先しすぎていることにあるのではないでしょうか。
「無所属の時間で生きる」ことは、そんな私たちが「個」を失わないための1つの方法です。城山氏は、上記のエピソードに続けてこう書いています。
石坂さんの例を担ぎ出すまでもない。ふだん縁のない町へ出かけ、交通機関の乱れや先方の都合などで、ぽっと時間が空いたときには、何か思わぬ拾い物をした気がする。
そこには、真新しい時間、いつもとちがうみずみずしい時間があり、子供に戻ったような軽い興奮さえ湧く。おそらく、それが人間をよみがえらせるきっかけの時間となるからであろう。(『無所属の時間で生きる』 19ページ)
「いつもと違うみずみずしい時間」。城山氏はそれを旅の中に見いだしていました。ですが、そうした時間が旅からしか得られないのかというと、おそらくそうではないのでしょう。
本書に収められた36本のエッセイの中には、氏が日常生活の中で遭遇した出来事を題材にしたものが多数あります。そば屋での祖母と孫娘のゆったりした会話に耳を傾ける「ハッダと冷麦」、家と仕事場を結ぶ道の朝と夕べ・夏から秋への移ろいを描いた「湘南・二十四時」など、気にしなければそのまま通り過ぎてしまうようなちょっとした出来事を、興味と驚きを持って捉えています。そこからは、氏が「いつもと違うみずみずしい時間」=無所属の時間を、日々の暮らしの中で感じ取っていたことが伝わってきます。
私たちの日常生活には、特段意識しないまま過ぎ去っていくものが少なくありません。通勤中の車窓の風景、食後に飲むお茶の味、眠りにつく前に見上げる天井の模様…。
忙しい日々にこそ、あえてそれらに意識を向けてみてはいかがでしょうか。自分と自分の周りのものにただ集中し、自分が何を感じているかに向き合う。今日では「マインドフルネス」と呼ばれるのかもしれませんが、「無所属の時間」と捉え直してみることで、所属を離れた「個」としての自分に気持ちを切り替えやすくなるかもしれません。
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『無所属の時間で生きる』は、1996~99年にかけて月刊誌『一冊の本』に同名のタイトルで連載されたエッセイを単行本化したものです。後に文庫化されており、『TOPPOINT』では文庫版を紹介しています。
実は、単行本化された際、「定年退職者のみに向けられたものと受けとられる可能性がある」という理由で、「無所属の時間で生きる」はサブタイトルに移されていました。
では単行本版のタイトルは何だったのか。それは『この日、この空、この私』でした。
城山氏がこのタイトルに込めた思いがどのようなものか、詳細に語られているわけではありませんが、氏は本書収録のエッセイ「この日、この空、この私」で、自分にとっての印象に残る「空」をこう述懐しています。
それは、何でもない東京の都心、ナイターの光で明るくなった夜空である。(中略)
その空の下には、楽しそうな観客の大群が居て、それぞれ屈託なく、貴重な人生を生き続けている。それなのに、おれ1人は――と、そのとき私は打ちひしがれていた。
他でもない。体調不振、体重は47キロまで落ち、入院して精密検診を受けたところ、若い医師から癌と宣告された。
癌宣告即ち死の宣告とされていた時代であった。(『無所属の時間で生きる』 132ページ)
結果的に城山氏は癌ではなかったそうですが、この経験は城山氏の人生との向き合い方を大きく変えたようです。
それ以降、何でもない1日もまた、というより、その1日こそかけがえのない人生の1日であり、その1日以外に人生は無い――と、強く思うようになった。
明日のことなど考えず、今日1日生きてる私を大切にしよう、と。(中略)
人生の持ち時間に大差はない。問題はいかに深く生きるか、である。(『無所属の時間で生きる』 133ページ)
この日、この私は、これだけ深く生きた――。日々変化するけれど、見上げればいつもそこにある空は、1日をそう振り返るきっかけであるとともに、過ぎた日の記憶を呼び起こすトリガーでもあるのでしょう。同時に、高く広い空を見上げることは、「どこにも属さない1人の人間」としての自分を再認識できる行為なのではないでしょうか。
とはいえ、自分は今日これだけ深く生きた、と自信を持って振り返ることは、普通の人間にはなかなか難しいもの。この点に関して、城山氏は、「一日一快のすすめ」と題した「あとがき」で次のように述べています。
それなら、1日に1つでも、爽快だ、愉快だと思えることがあれば、それで、「この日、この私は、生きた」と、自ら慰めることができるのではないか。
つまり、これは私の造語なのだが、「一日一快」でよし、としなければ。(『無所属の時間で生きる』 226ページ)
本書では、城山氏が旅先で出会った様々な人の生きざまや歴史上の人物の足跡など、多様な人間の「この日、この私は、生きた」が描かれています。「三十代最後の年には」「五十代半ばにて」など、自身の来し方についても語っており、作家という無所属の人生を送った氏が、迷い、悩みながら年を重ねていった軌跡が見て取れます。
人と社会を長年見つめてきた氏の言葉は、四半世紀の時を経てもなお心に迫ります。本書のエッセイを1日1篇ずつでも読み進めることで、「一日一快」の助けとしてみてはいかがでしょうか。
「この日、この私は、生きた」。本書を読んだ後、空を見上げれば、きっとそんな思いで1日を終えることができるでしょう。
(編集部・西田)
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「編集部員が選ぶ今週のPick Up本」は、日々多くのビジネス書を読み込み、その内容を要約している編集部員が、これまでに『TOPPOINT』に掲載した本の中から「いま改めてお薦めしたい本」「再読したい名著」をPick Upし、独自の視点から読みどころを紹介するコーナーです。この記事にご興味を持たれた方は、ぜひその本をご購入のうえ通読されることをお薦めします。きっと、あなたにとって“一読の価値ある本”となることでしょう。このコーナーが、読者の皆さまと良書との出合いのきっかけとなれば幸いです。
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