
先週木曜日、11月16日は国際寛容デーでした。1996年に国連で制定されたこの日は、前年に採択された「寛容に関する原則の宣言」に基づいています。
宣言では、「寛容」という言葉を次のように定義しています。
「豊かな多様性に富む世界の文化、表現の手段、人間としてのあり方を尊重し、受け入れ、享受すること」(ユネスコスクールHP)
残念ながら、今の世界は寛容とはほど遠い状態にあります。国家間の争いのみならず、宗教間や人種間の不寛容が原因となり、様々な軋轢が生じています。日本でもSNSなどを中心に、他者の誤りや失敗に対する容赦ない攻撃など、不寛容な動きが広まっています。
こうした状況の中で、改めて「寛容」について考えてみてはいかがでしょうか。今週Pick Upする本、『君あり、故に我あり 依存の宣言』(サティシュ・クマール/講談社)は、人間の相互関係・共生関係の大切さについて考える上で、私たちに大きなヒントを与えてくれる1冊です。
著者は1936年、インド生まれ。9歳で出家し、ジャイナ教の修行僧となります(18歳で還俗)。その後26~28歳の時、インドのニューデリーから約13000kmを歩いてモスクワ・パリ・ロンドン・ワシントンという核大国の都市を訪れ、平和の紅茶を届けるという活動を行います。1973年からは英国に定住し、雑誌「リサージェンス」の編集長などを務めています。
本書で著者は、現在世界で起こっている争いや環境問題、社会的不公平などの原因は、西洋の「二元論」的な考え方にあると述べます。どういうことでしょうか。
著者は、二元論的な考え方の源流を、デカルトの「我思う、故に我あり(私は考える、故に私は存在する)」という格言に求めます。そして、デカルトが西洋文化に及ぼした影響を次のように語っています。
私は西洋文化について多くを学ぶにつれ、デカルトの二元論の本質的特徴は、精神と物質を分け、心と体を分離し、世界を分析、分割、分類、支配する対象物の集合として捉える思考過程にあることに気づいた。デカルトのこの主体と客体の二元論、あるいは精神と物質の分裂は、西洋文化の支配的パラダイム(理論的枠組み)となっている。
(『君あり、故に我あり』 322~323ページ)
デカルトの二元論的な思考が西洋文化の理論的枠組みとなっている、というのです。では、それがなぜ現代世界の諸問題を生み出しているのでしょうか。著者は自分と他者が対立関係にあるとする、その考え方に原因があると見ます。
デカルト的二元論の帰結は、個人をお互い及び世界全体と対立させ、人生を戦場とする。各個人は自力で生きていかねばならず、自らの利益のための行動に没頭する。個人主義が強者による弱者の搾取を生み、権力や富のための争いを生み、動物と自然の隷属化を生み、そして充足感のない無意味な人生という究極の欲求不満を生み出す。
(『君あり、故に我あり』 327ページ)
こうした、自分と他者とを分ける二元論的世界観のことを、著者は「分離する哲学」と呼んでいます。そして、それとは別に、すべての種は共生関係にあるとする「関係を見る哲学」が存在することを示します。例えば――
「すべては与えている」とジャイナ教徒はいう。太陽は植物に光を与え、植物は鳥に果実を与え、鳥は種を運び、種は自らに土を与え、そして土は種に命を与える。仏教徒はこの現象を「相互依存の現象(因縁生起)」と呼ぶ。(中略)私たちは、自分自身だけで存在することはできない。これは私たちの存在は他者の存在があって初めて可能であることを意味する。
(『君あり、故に我あり』 325~326ページ)
これは、自分と他者とを対立する存在とみなす二元論的な思考ではなく、自分と他者は相互に依存しあって生きているとする思考です。そして、その思考を一言で表現するものとして、著者はデカルトの「我思う、故に我あり」の格言と対比させて「君あり、故に我あり」という言葉を紹介します。
アフリカのある地方には、「我々あり」を意味する「ウンブトゥ」という言葉がある。「我あり」や「それあり」のような言葉はなく、常に「我々あり」なのだ。(中略)ヒンズー教徒は「ソーハム(彼は我なり)」、「君あり、故に我あり(あなた方が存在する、故に私は存在する」という。
(『君あり、故に我あり』 326ページ)
二元論的世界観に基づく「自己利益」という動機から、「関係を見る哲学」のような「共通利益」の認識へ――。著者は、私たちの考え方がそのように変化するべきであることを訴えます。
それとともに、こうした意識の変革が簡単ではないこともまた、著者は理解しています。その例として挙げるのが、環境保護運動です。共生への志向をもった活動のように思えますが、その多くはあくまでも「人間にとって」都合のよい環境を守るための活動であり、二元論的世界観から抜け出せていないことを指摘しています。
先進国といわれる国々の多くは、西洋文化に属し、二元論的世界観をもっています。そしてそれは、日本も例外ではありません。日本はそのルーツに仏教的な「共通利益」の世界観をもちながらも、政治経済の面では二元論的世界観をもつことを義務づけられている面があるでしょう。しかし、その思考が様々な問題を生み出している今日、そのままでよいのか、改めて考える必要があるのではないでしょうか。
『君あり、故に我あり』は、人類のこれからの生き方にオルタナティブな認識を示すものであり、私たちの思考の幅を広げてくれる本です。
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ところで、本書の著者サティシュ・クマール氏は、経済学者のE・F・シューマッハー氏と友人でした。シューマッハー氏は、現代社会の根底にある物質至上主義を鋭く批判し、「人間中心の経済学」を考察した名著『スモール・イズ・ビューティフル 人間中心の経済学』の著者として有名な人物です。2人は互いの思想に深い理解を示していました。
『君あり、故に我あり』では、サティシュ氏が英国を離れてインドに戻ろうとした際、シューマッハー氏が思い直すよう説得したことが語られています。悩んだ末、サティシュ氏は説得を受け入れ、英国にとどまることを選びます。2人の親交の深さをうかがわせるエピソードです。
サティシュ氏は後に、シューマッハー氏の名前と思想を受け継ぎ、「シューマッハ・カレッジ」という私立大学を設立しています。サティシュ氏の思想を理解する上では、シューマッハー氏の考え方について知ることも重要といえます。
『スモール・イズ・ビューティフル』はTOPPOINTライブラリーでご紹介していますので、本書と合わせてお読みいただければ幸いです。
(編集部・小村)
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「編集部員が選ぶ今週のPick Up本」は、日々多くのビジネス書を読み込み、その内容を要約している編集部員が、これまでに『TOPPOINT』に掲載した本の中から「いま改めてお薦めしたい本」「再読したい名著」をPick Upし、独自の視点から読みどころを紹介するコーナーです。この記事にご興味を持たれた方は、ぜひその本をご購入のうえ通読されることをお薦めします。きっと、あなたにとって“一読の価値ある本”となることでしょう。このコーナーが、読者の皆さまと良書との出合いのきっかけとなれば幸いです。
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