
今年も、ノーベル賞の受賞者が発表されました。
10月2日(月)の生理学・医学賞を皮切りに、物理学賞、化学賞、文学賞、平和賞、そして10月9日(月)の経済学賞と、6つの賞で計11人が選ばれました。
受賞理由を見ると、新型コロナウイルスのワクチン開発への貢献やナノテクノロジー発展の礎の構築など、圧倒される実績が並んでいます。
ところで、これら6つの賞の中に、1つだけ「仲間外れ」がいることはご存じでしょうか?
『Econofakes エコノフェイクス』(フアン・トーレス・ロペス/サンマーク出版)を読むと、その答えがわかります。
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経済学の本質を平易な言葉で表現する「市民経済学者」のフアン・トーレス・ロペスは、ずばり次のように書いています。
「ノーベル経済学賞」などというものは存在しない。
(中略)「ノーベル経済学賞」として知られている賞は、ノーベルの遺志とは関係がない。(『Econofakes エコノフェイクス』 33~34ページ)
ノーベルは1896年に亡くなる前、生理学・医学、物理学、化学、文学、平和の5つの分野について賞を設けることを遺書に書き残しています。
一方、「ノーベル経済学賞」ができたのは1968年と、他の5つの賞の誕生から半世紀以上も後のこと。創設したのはスウェーデン国立銀行で、名前も「アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞」でした。それを同銀行が、ノーベル賞の1つであるように「見せかけ」たのだ、と本書は指摘しています。
なぜ、そんなことをしたのか。次の通り、同銀行の狙いは、経済学に権威を与えることで国立銀行の金融政策を正当化することにありました。
スウェーデン国立銀行は、彼らの提案をノーベル財団が受け入れたことで、経済学は、化学、物理学、あるいは生物学や医学に匹敵する科学であり、普遍的で議論の余地のない真実を確立できる学問であると世界中の人々に信じ込ませることに成功した。
つまり、塩素とナトリウムの混合物が塩化物になるのか塩素酸塩になるのかを国会で議論しないのと同様に、たとえば中央銀行が金利水準や市場に出まわるべき通貨の量について「科学的」な措置をとる場合も議論は不要というわけだ。(『Econofakes エコノフェイクス』 37ページ)
本書は、こうしたスウェーデン国立銀行の戦略をこうまとめています。
人々にノーベル経済学賞が存在すると信じ込ませることで、自分たちが下す決定を素直に受け入れさせ、自分たちに都合よくことを運ぼうとしている。
(『Econofakes エコノフェイクス』 41ページ)
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本書には、他にも様々な“エコノフェイクス(経済のウソ)”が取り上げられています。それらの多くに見て取れるのは、上に挙げたような、「信じ込ませ」、「受け入れさせ」、「自分たちに都合よくことを運ぼうと」する人々の影です。
例えば、社会保障の分野における“ウソ”。本書は、次のような話を紹介します。
急速に進む高齢化によって、近い将来、公的年金制度が破綻するだろうという話は、誰もが何度か聞いたことがあるのではなかろうか。
(中略)公的年金の未来を危うくするのは国民の高齢化という人口問題だとするのは間違っている。(『Econofakes エコノフェイクス』 139~140ページ)
その理由として本書は、人口推移を予測することの難しさや、人口が労働力や生産活動に及ぼす影響などを挙げています。ですが、重要なのはそれらよりも、この“ウソ”の背後にある思惑でしょう。本書は、次のように説いています。
このウソを広める人たちは、公的年金制度は将来的に恐ろしく危険な状態に陥ると国民に信じ込ませ、その解決策として、財政支出や年金支給額の削減、退職年齢の引き上げを提案する。
(『Econofakes エコノフェイクス』 152~153ページ)
日本にも当てはまりそうな内容ですが、恐ろしいのは、これによって結果的に年金制度の破綻が起きかねないということです。
公的年金のこんな未来は避けてとおれないものだとすることで、実際にこの制度を裏で支えている人々の連帯や最低限公平に保たれている所得分配といった大切なものが覆いかくされてしまう。(中略)
そのため、このウソは、資源の公平な分配についての社会的議論を回避することができる。さらに、公的年金の将来は経済政策次第で変えられるという事実も伏せられると、不安に駆られた人々は、退職後の収入を守るためには財政支出の削減や賃金や年金のカットもやむをえないと信じるようになる。しかし、これらの削減こそが年金制度を悪化させるので、年金制度は日に日に機能しなくなっていき、そのうち破綻するということになる。(『Econofakes エコノフェイクス』 152ページ)
これは、心理学で言うところの「予言の自己成就」に当たるものです。たとえ根拠のない思い込みであっても、「こうなるのではないか」と思って行動していると、実際にそれが現実のものとなる。この結果、当初はウソであったにもかかわらず、後から振り返った人々は、「やはりあの人/組織の言っていたことは正しかった」となってしまう。
日本でも2019年には「老後2000万円問題」が取り沙汰されるなど、年金制度の持続性については多くの人が関心を寄せています。
10月2日の今週のPick Up本では、まさにこの「社会保障制度の崩壊」について取り上げています。相反するように見える2つの主張、それぞれどのような根拠に基づいているのか? 読み比べてみると面白いかもしれません。
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では、これら“経済のウソ”に騙されないためには、どうすればいいのか?
本書が一貫して説くのは、ある主張を目にした際に、どんな立場の人が、何を目的に主張しているのかを考えることです。
心理学に「ハロー効果」というものがあります。ある人に何か際立った特徴があると、それ以外の部分までそれに引っ張られて、評価が歪められてしまうというものです。
こんな素晴らしい賞を得ている人の言うことなら間違いないだろう、この肩書の人なら信用できる、身なりやしゃべり方に好感が持てるから、付き合っても大丈夫そう…。そんな印象形成を、私たちは自分でも意識をしないままに行っています。
日々大量の情報を猛スピードで処理しなければならない現代人にとって、そうした自動の「スクリーニング」機能はとても役立つものであり、一定の妥当性があることも事実です。
ですが、それに全面的に頼ってしまうと、ある主張の奥に隠された「狙い」に踊らされてしまうことになりかねません。メリットは享受しつつ、本書で説かれる視点も意識することで、より判断の精度を上げることができるでしょう。
その意味で本書は、経済学という枠を超え、情報への接し方全般についての基本姿勢を示してくれる本といえます。
こうした姿勢で本書を読むと、「市民経済学者」の著者によるノーベル経済学賞への批判についても、また違った見方ができるかもしれません。
(編集部・西田)
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「編集部員が選ぶ今週のPick Up本」は、日々多くのビジネス書を読み込み、その内容を要約している編集部員が、これまでに『TOPPOINT』に掲載した本の中から「いま改めてお薦めしたい本」「再読したい名著」をPick Upし、独自の視点から読みどころを紹介するコーナーです。この記事にご興味を持たれた方は、ぜひその本をご購入のうえ通読されることをお薦めします。きっと、あなたにとって“一読の価値ある本”となることでしょう。このコーナーが、読者の皆さまと良書との出合いのきっかけとなれば幸いです。
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