「法律上の問題はない」
石破茂首相が、当選1回の衆議院議員の事務所に1人10万円分の商品券を届けていた――。
来年度予算案の国会審議が進行中の3月、そんな“事件”が報じられました。
このことについて事実関係や認識を問われた石破首相は、3月13日、こう答えます。
「政治資金規正法上の問題はない」
「公職選挙法にも抵触をするものではございません」
なるほど、じゃあ問題ないね、とはならないのが今の政治情勢。この発言は与野党やメディアだけでなく、一般の人々からの批判も招き、石破首相は「理解を得るためにはさらなる努力が必要」といった釈明に追われる事態となっています。
政治家がよく言うフレーズに「丁寧な説明に努める」というものがありますが、では今回の問題は、丁寧に、誠心誠意説明し続ければ、いずれ皆が理解してくれるのでしょうか。
おそらく、難しいでしょう。
なぜなら、「言えば伝わる」「話せばわかる」というのは、“幻想”に過ぎないからです。
今週は、認知心理学の観点から、この“幻想”について教えてくれる本、『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策』(今井むつみ 著/日経BP 刊)をPick Upします。
「ネコ」と聞いて何を思い浮かべるか
本書は、「話せばわかる」という考えについて、そもそも言葉を発する人と受けとる人とでは「知識の枠組み」も「思考の枠組み」も異なるため、その実現が難しいことを説いています。
例えば「ネコ」という言葉を聞いたときに、「自分の家で飼っている子ネコ」をイメージする人もいれば、「ハローキティ」や「トムとジェリー」に登場するキャラクターとしてのネコを頭に浮かべる人もいます。昔引っかかれてけがをした経験から「凶暴」なイメージを持つ人もいれば、ぬいぐるみのような「愛くるしい」イメージを持つ人もいるでしょう。(中略)
そう、私たちはそれぞれがまったく異なる「知識の枠組み」「思考の枠組み」を持っているため、たった1つの名詞「ネコ」と聞いたときでさえ、無意識に頭の中に思い浮かべるものはまったく別ものである可能性がとても高いのです。(『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』 28ページ)
このような、「知識の枠組み」や「思考の枠組み」のことを、認知心理学では「スキーマ」と言います。
このスキーマが人によって異なることは、言われてみれば当然のことです。ですが実際には、私たちはそのことを見落としがちではないでしょうか。
例えば石破首相は、今回の商品券の配布について、自身が若い頃に(そういったものを)もらったことがあること、選挙の時には言うに言われない苦労があること、そうした苦労をねぎらい、総裁として「ご苦労様、ありがとう」という意図があったことなどを、メディアに対し語っています。
このようなスキーマの下では、商品券を1期生議員に配ることは、とりたてて不自然ではないのでしょう。法律上の問題もなさそうだから、何を恥じることがあろうか、という考えだったのかもしれません。
一方で、この“事件”を知った多くの人々のスキーマは、これとは異なるものでしょう。
急激な物価高騰で生活が苦しい。一方で減税や「103万円の壁」など、負担の軽減に向けた取組はいまいち進んでいない(ように見える)。そんな中で、政治家は会合に出るだけで10万円分の商品券がもらえるのか。しかもそれを行ったのが「政治とカネ」問題の改革の先頭に立ってきた石破首相とは…。
これほど両者でスキーマが異なれば、いかに「法的な問題はない」と繰り返したところで、「話せばわかる」とはならないのは明白でしょう。
本書は、スキーマについて、こう書いています。
人は皆、自分の知識の枠組みであるスキーマを持っています。つまりそれは、「自分なりの理屈を持っている」ということです。人の話はすべて、自分のスキーマというフィルターを通して理解されます。そういった意味で、スキーマは「思い込みの塊」でもあります。
相手に正しく理解してもらうことは、相手の思い込みの塊と対峙していくことです。そして相手を正しく理解することは、自分が持っている思い込みに気がつくことでもあります。これがいかに難しいことかは、想像に難くないでしょう。(『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』 37ページ)
石破総理は、自身の説明について「理解が得られたとは思っていない」として、「ひたすら誠心誠意、努力するほかにない」と、さらなる説明に努める考えを強調しています。
そうした説明の際には、自身と国民のスキーマのどこに乖離があるのかを、十分に考慮することが求められるでしょう。法的問題や道義的責任、そして国民の置かれた社会・経済的状況などに関して相手が持っているスキーマに寄り添う姿勢が無ければ、いくら丁寧に説明を行ったところで、効果は薄いと考えられます。
相手の立場に立って考える
ところで、政治の話はさておき、「何回説明しても伝わらない」という問題はビジネスパーソンにとっても他人事で済まない問題ではないでしょうか。
来週には職場に新たな仲間がやってくる、という方も多いと思われる中、特に新入社員の指導を担当する人にとっては、頭の痛い問題かもしれません。
では、本書『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』は、この悩みに対し、どう答えてくれるのでしょうか?
その答えはある意味シンプルで、「相手の立場に立って考える」ということ。
これは、単に思いやりを持つ、ということではありません。本書は、ビジネスにおける「相手の立場に立って考える」ことを、「相手の置かれている状況を分析し、それに応じた提案をする、ということ」だと説いています。
例えば、仕事でメールを受け取ったが、最後まで読んでも結局何の用件なのかわからなかった、という経験はないでしょうか?
こうしたメールは、往々にして「自分の伝えたいこと」だけを書き出したもので、相手のことをまったく考えていない結果、何のメールかわからない、ということになってしまっているのです。
本書は、このことを、スキーマと絡めて次のように解説しています。
ビジネスで説明をしたり、メールを書いたりする場合にも、相手の理解度を想像しながら話を組み立てなければなりません。専門用語を使って簡潔に伝えられる相手なのか、噛み砕いた説明が必要なのか。(中略)相手が持つスキーマと自分のそれとが重なり合う部分はどれだけあるのかを考えなければならないのです。
(『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』 186ページ)
こうした視点をあらかじめ持っておけば、新入社員の指導の際に「説明したことが伝わらない」という問題に直面しても、少しは落ち着いて対処できるのではないでしょうか。
「自分の説明を理解できない新入社員は問題だ」という考えではなく、「自分と新入社員の人生は今まで重なってこなかったのだから、スキーマが違うのも当たり前。重なる部分はあるのか、あるとしたらどれぐらいあるのか、どこを活かせば理解しやすいか」という考えで接するようにすることで、円滑なコミュニケーションができ、ひいてはお互いの成長にもつながるかもしれません。
本書『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』は、こうした観点から、ぜひ今の時期に一読をお勧めしたい1冊です。
(編集部・西田)
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「編集部員が選ぶ今週のPick Up本」は、日々多くのビジネス書を読み込み、その内容を要約している編集部員が、これまでに『TOPPOINT』に掲載した本の中から「いま改めてお薦めしたい本」「再読したい名著」をPick Upし、独自の視点から読みどころを紹介するコーナーです。この記事にご興味を持たれた方は、ぜひその本をご購入のうえ通読されることをお薦めします。きっと、あなたにとって“一読の価値ある本”となることでしょう。このコーナーが、読者の皆さまと良書との出合いのきっかけとなれば幸いです。
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