倒産寸前から25の修羅場を乗り切った社長の全ノウハウ

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著者紹介

概要

債務超過の“崖っぷち会社”が、25年連続黒字の会社に! 倒産寸前の(株)日本レーザーを甦らせた同社会長が、自らの歩みを振り返り、経営手法を全面公開。「『売価』は現場の社員が決める」「粗利益額の3%を成果賞与として支給」…。「人を大切にする経営」という原則の下、修羅場で用いたノウハウの数々が披露される。

要約

「25の修羅場」が「25年連続黒字」をつくる

 1968年、私は日本電子(株)に入社した。「セールスエンジニアとして世界で活躍したい」。その夢を実現するために選んだ会社である。

 入社後、ソ連(当時)のレニングラードやモスクワに駐在した。ところが、順調に見えた私のキャリアはその後、激変。修羅場の連続となった。

上場企業破綻の修羅場

 電子顕微鏡のトップメーカーとして「時代の寵児」と呼ばれた日本電子だったが、次第に業績は低迷する。そして、経営再建の大義を掲げ、多くの人をリストラせざるを得なくなる。なぜか?

 業績悪化の理由は、3つある。

①急激な多角化、急成長路線による人員増

 日本電子の創業は1949年。1962年に東京証券取引所第2部に上場。額面50円だった株価はすぐ2870円に。この高株価を維持するため、多角化路線、高成長路線に舵を切った。それに伴い、大量の新卒採用、中途採用に踏み切るが、急な人員増に対応できる経営基盤ができていなかった。

②上場企業のワナ

 株式公開後、大株主だった創業社長は高配当によって高額所得者になった。日本電子の高配当方針は高株価を維持する手段であり、常に市場の期待に応えなければならないという、上場企業のワナにはまった結果だが、同時に「自分(社長)の収入を増やす手段」でもあった。経営トップが自分で報酬を決められる仕組みは、経営を揺るがす。

③ニクソンショックとオイルショック

 1971年のニクソンショック以降、急激な円高となり、業績は急激に悪化した。さらに、1973年のオイルショックが追い打ちをかけた。材料費の高騰で原価が上がり、経営は一気に崩落した。

 その結果、資本金32億円の日本電子は、38億円もの赤字を抱えることになった。

リストラの修羅場

 1972年、私が28歳の時、労働組合の執行委員長に就任した。そして、1974年1月から日本電子の経営の再建・合理化が本格化する。工場の閉鎖売却と1000名の人員整理が行われた。

 30歳そこそこの組合の執行委員長にすぎない私がメインバンクの本店審査部に出向き、自分たちの考えを訴えたりもした。経営立て直しのための汚れ役が、私の仕事だった。執行委員長退任後もアメリカ・ニュージャージーではアメリカ法人支社を清算。50人のアメリカ人社員全員を解雇し、ボストンではアメリカ人社員を2割解雇、日本人駐在員は半減するなどの合理化を断行した。

 人員整理と自主再建を通して私は、次のことを教えられた。

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