2019年1月号掲載

大人のための儒教塾

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著者紹介

概要

「儒教」は、倫理・道徳の教えとして、堅苦しいイメージで見られがちだ。しかし、そもそもは東北アジアにおける“家族主義”の中から生まれたもの。意外にも、日本人の生活に深く根ざすお墓やお盆などの先祖供養は、仏教ではなく儒教に由来する。その真の姿を、中国哲学史の碩学が、儒教の歴史を繙きつつわかりやすく説く。

要約

家族主義と個人主義

 家族主義 ―― この言葉を聞くと、多くの人は古ぼけた言葉と思うだろう。なぜなら、私たちは小学生の時から、個人主義が一番優れていると教えこまれてきたからだ。

 しかし、家族主義は前近代的、個人主義は近代的、というのは大嘘である。そのことは、人類の歴史を振り返ってみると、よくわかる。

農耕の発達と家族主義の誕生

 今から何万年も昔、人類は森の中に住んでいた。女性たちは食事の準備や子育てをし、男たちは狩猟に出る。そういう生活が何万年も続いた。その後、人類は平原に移住し、農業を生み出した。

 農耕生活が始まると、親族はお互いに助けあって作業をする。そこには当然、リーダーが必要だ。そこで本家(族長)を中心として動くこととなる。

 この〈一族とともに生きてゆく生き方〉を一族主義という。ただ、一族といっても、夫婦を核とする家族(世帯)があって、その家族の集合である。従って、一族主義かつ家族主義となる。

 農業を営む上で、この家族主義・一族主義という選択は必然的だった。まして日本では、100年前ぐらいまで農業が主産業だったことから、家族主義がずっと人々の生き方であった。

能力主義から生まれる個人主義

 一方、ヨーロッパの人々には、長い狩猟生活で形作られた特徴があった。それは、個人の才能に対する敬意である。狩猟の基本は、弓矢で動物を仕留めることであり、その能力は仲間が認める。すなわち、狩猟は能力主義なのだ。

 この〈個人の能力を高く評価する生き方〉が個人主義の基盤となった。そしてそれは、狩猟生活から農耕生活に移った後も生き続けた。

キリスト教が否定した祖先祭祀

 家族主義を支える宗教的倫理的根幹は、一族の団結のための祖先祭祀である。農耕生活となった古代ヨーロッパもこれを重視した。しかし、キリスト教が禁じたため、祖先祭祀そして家族主義は消えていった。農業生産においては、祖先への感謝ではなく、神への感謝がすべてとなったのだ。

 一方、個人能力重視主義はそのまま生き続けた。そして現代のアメリカで、大きく花開いた。アメリカ人の能力第一の考え方は、狩猟の論理である。

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