2017年11月号掲載

禅が教える 人生という山のくだり方

禅が教える 人生という山のくだり方 ネット書店で購入
閉じる

ネット書店へのリンクにはアフィリエイトプログラムを利用しています。

※『TOPPOINT』にお申し込みいただき「月刊誌会員」にご登録いただくと、ご利用いただけます。

※最新号以前に掲載の要約をご覧いただくには、別途「月刊誌プラス会員」のお申し込みが必要です。

著者紹介

概要

仕事がなく暇を持て余し、体力的な衰えが目立つ…。人生の終盤、「くだり坂」を迎えると、先行きを案じ、不安になりがち。だが、禅僧の著者によれば、くだりは決してマイナスではない。のぼる時には見逃したものが見えてくるという。本書では、禅の教えに依りつつ、人生という山を緩やかに、幸せを感じながらくだる術を説く。

要約

下山という哲学

 登山というものは、一生懸命にのぼって頂上にたどり着き、そして自分の足でくだりきってくる。そこで初めて登山は完結する。

 人生の山もまた同じ。ひとつの山をのぼりきり、そして無事に下山してくる。延々と頂上にしがみつくことは、遭難と同じようなものだ。自分の人生で遭難しないために、緩やかに、そして幸福にくだってくる術を身につけることである。

 この人生におけるくだり坂との向き合い方、くだり方を、禅は教えてくれる。

くだりの一歩を踏み出すこと

 「百尺竿頭進一歩」という禅の言葉がある。

 百尺の竿を上に向かって一歩一歩のぼっていく。すると、やがては竿の頂上にたどり着く。もっと高みまでのぼりたいと願っても、もう竿はない。そのことに気づいた時、私たちはやっとくだるという一歩を踏み出すことになる。

 くだりの一歩は、のぼりのそれに比べてマイナスに考えがちだ。のぼっている時の高揚感もなく、何となく終わりに向かっているような気がする。そこでつい、くだりの一歩を蔑ろにしたりする。

 するとどうなるか。せっかくのぼってきた道のりを転げ落ちることになる。のぼる時とくだる時の一歩には、何の変わりもない。まったく同じ大切な一歩であると知ることである。

 さて、この竿を現実の人生に置き換えてみよう。例えば会社という組織では、努力しても、誰もが同じように出世をするわけではない。それは実力の差ばかりではなく、縁や運にも左右される。

 自分の頂上を見極めることは、諦めではない。自分に与えられた運命を静かに受け入れるということだ。もうこの先に道がないのであれば、勇気を持ってくだりの一歩を踏み出すことである。

 くだるとはどういうことか。それは、次にのぼってくる若者に自分の経験を伝え、彼らを下から支えてあげることである。それは、修行を重ねた僧侶が、街に出て人々の心を癒すことと同じだ。

この本の要約を読んだ方は、
他にこんな本にも興味を持たれています。

ラ・ロシュフコー箴言集

ラ・ロシュフコー 岩波書店(岩波文庫)

中国古典の名言・名句三百選

守屋 洋 プレジデント社

話を聞かない男、地図が読めない女 男脳・女脳が「謎」を解く

アラン・ピーズ 主婦の友社

ビジネスマンの父より息子への30通の手紙

G・キングスレイ・ウォード 新潮社(新潮文庫)