2012年5月号掲載

「粗にして野だが卑ではない」 石田禮助の生涯

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著者紹介

概要

78歳で財界人から国鉄総裁になった石田禮助氏は、国会での挨拶で、政治家たちに言った。「粗にして野だが卑ではないつもり」。世のために尽くすという信念の下、在任中、氏は権威を振りかざす政治家や官僚をはじめ、「卑」にまつわる一切と、正面から渡り合った。今の日本の指導者が見習いたい、卑ではない本物の人間。その生き様を、作家の城山三郎氏が描く。

要約

筋道の鮮やかな生き方

 明治40年、石田禮助は東京高商専攻科を卒業し、三井物産に就職した。

 石田が頭角を現すのは、大正5年、数え31歳でシアトルの支店長に起用されてからである。着任後、3年半ほどの間に目覚ましく業績を上げた。

 当時、戦争の影響で、太平洋では船荷の動きが減り、シアトル港も閑散としていた。そうした中で、石田は間もなく好景気が来ると読み、船のチャーターに乗り出した。石田の読みは適中し、大戦景気によって運賃は暴騰した。

 シアトル支店は、船関係だけで1000万円に上る巨大な利益を上げた。三井物産の当時の資本金は2000万円。その半分を1人で稼ぎ出したのだ。

 だが赴任して3年半目、帰国を命ずる辞令が出た。損失を計上したというのが更迭の理由だった。

 確かに損は出たが、それはしかし石田の責任ではなかった。大豆油で大相場をはったニューヨーク支店が2000万円近い損を出しそうで、しかも大豆油の現物の手当てができず、約定の履行ができないというので、救援を頼まれた石田が、手持ちの大量の大豆油を安値で融通してやったのだ。

 似たことが、ダラスでも起こった。

 本社はこの間の事情を知らないし、また知ろうともしない。石田としては、他店を傷つけることになる弁明はしたくない。こうして帰国となった。

 ニューヨークで7年間過ごし、昭和11年に帰国した石田は、3年後、54歳で代表取締役になる。

 トップの座に就いたわけだが、楽しめなかった。

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