2007年9月号掲載

上杉鷹山の経営学 危機を乗り切るリーダーの条件

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著者紹介

概要

深刻な財政危機に陥っていた米沢藩を、斬新な藩政改革により見事に立て直した上杉鷹山。その手腕は、故ジョン・F・ケネディが「尊敬する日本人」として名を挙げたほど卓越していた。本書では、希望を失い沈みきっていた領民と藩士の意識を変え、変革へと導いた鷹山の改革手法を明らかにするとともに、「危機を乗り切るリーダーの条件」を探る。

要約

構造不況の米沢藩を再生させた男

 米国のケネディ大統領は、かつて日本人記者から「最も尊敬する日本人は誰ですか」と問われた時、即座に「ウエスギヨウザン」と答えたという。

 ケネディは、何よりも国民の幸福を考え、民主的に政治を行い、そして、その日常生活において潔癖さを貫いた上杉鷹山の姿に、自分の理想とする政治家の姿を見たのである。

 上杉鷹山は、今から220年ほど前の米沢(山形県米沢市)藩主である。もともと上杉家の人ではなく、日向(宮崎県)の小大名の家に生まれた。

 縁があって上杉家の養子に入り、17歳の時に藩主の座に着いた。

 彼が藩主になった頃、すでに日本は貨幣経済の社会になっていたが、農作物だけを税源とする幕府や藩はそれに対応できず、極度の財政難に陥っていた。そのため幕府も藩も、「財政再建のための行政(経営)改革」に狂奔したが、必ずしも成功しなかった。

 上杉家は謙信以来の名門なので、万事が形式を重んじ、その形式には出費が伴う。特に家臣団への妙な配慮を続け、謙信の時に比べて収入が激減しているにもかかわらず、人員整理を全く行わなかった。だから、鷹山が相続した時、藩士の給与総額だけで藩収入の90数%も占めていた。

 今でいえば、会社更生法を適用されてもどうにもならないほど、上杉家は逼迫していた。それを鷹山は17歳の若さで引き継ぎ、やがて見事に藩財政を立ち直らせたのである。

 

愛と思いやりの名経営者・鷹山

自身が変わらねば、組織は変わらない

 経済が高度成長から低成長に落ち込み、税収が落ち、新しい仕事がやりにくくなった時、政府や企業は必ず改革を行う。

 そのために、規模を縮小し、人員を減らし、経費を切り詰めるというのは常套手段である。