2023.8.21

編集部:小村

“お金で買えない”モノがあるのでは? 行き過ぎた市場主義に サンデル教授が切り込む

“お金で買えない”モノがあるのでは? 行き過ぎた市場主義に サンデル教授が切り込む

 スーパーマリオブラザーズの帽子をかぶった海外の観光客、ハリー・ポッターの衣装を着た日本の学生たち…。夜、仕事帰りにJR大阪駅の構内を歩いていると、USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)帰りと思しき人たちと出会います。

 調査によれば、2022年のUSJの来園者数は1235万人。前年から2.2倍に増え、コロナ禍前の19年比では85%まで回復しています(「USJ、世界3位の集客力 日本のアニメを起爆剤に」/日本経済新聞電子版2023年8月2日)。これだけ入場者が多いと、アトラクションに並ぶのも一苦労です。先述の日経新聞の記事では、ジェットコースターは待ち時間が3時間以上の時もあるそうです。

 せっかくUSJに行っても、並ぶだけで一日が終わるのでは? と思いますが、確実にアトラクションを楽しめる方法があります。それは、入場用のチケットとは別に、待ち時間を短縮できるチケットを購入すること。そうすれば、通常の待ち列よりも短い専用レーンから入ることができるのだとか。ただし、料金は入場チケットと同じくらいか、日によっては倍ほどの費用がかかります(変動制のため)。

 お金を多く払った人が、長いあいだ列に並んでいる人たちを追い抜き、優先的にアトラクションを楽しむ――。このことについて、お金を多く払った人は、それだけ費用をかけたのだから当然だ、と思うかもしれません。しかし、そのために通常の列に並んでいる人たちの待ち時間はより長くなります。果たしてこれは、当然なこととして受け入れるべきなのでしょうか。他に考える余地はないでしょうか。

 

 今週Pick Upする『それをお金で買いますか 市場主義の限界』(マイケル・サンデル/早川書房)は、こうした問題――お金で買うことはどこまで許されるべきなのかについて、私たちに再考を迫る本です。著者のマイケル・サンデル氏は、政治哲学を専門とするハーバード大学教授。NHKで放送された「ハーバード白熱教室」でご存じの方も多いでしょう。

 

 本書でサンデル氏は、1980年代、米レーガン大統領や英サッチャー首相がとった経済政策以降、市場がその範囲を拡大してきたことについて、次のように述べています。

 

この三〇年のあいだに起こった決定的な変化は、強欲の高まりではなかった。そうではなく、市場と市場価値が、それらがなじまない生活領域へと拡大したことだったのだ。こうした状況に対処するには、強欲さをののしるだけではすまない。この社会において市場が演じる役割を考え直す必要がある。(中略)市場の道徳的限界を考え抜く必要がある。お金で買うべきではないものが存在するかどうかを問う必要がある。

(『それをお金で買いますか』 19~20ページ)

 

  「市場と市場価値が、それらがなじまない生活領域へ拡大」している――。サンデル氏はこう指摘し、様々な事例を挙げて、それをお金で買うべきなのかどうか、読者に問いかけます。例えば、冒頭で述べた行列に割り込む権利もその1つ。他にも、腎臓移植や謝罪の代行、結婚式の挨拶の代行等々、その是非を検討していきます。もちろん、サンデル氏は大切にしている価値観は人それぞれであることを認めています。その上で、こう主張します。

 

お金で買うことが許されるものと許されないものを決めるには、社会・市民生活のさまざまな領域を律すべき価値は何かを決めなければならない。この問題をいかに考え抜くかが、本書のテーマである。

(『それをお金で買いますか』 23ページ)

 

 では、サンデル氏自身はこの問題についてどう考えているのでしょうか。上記の引用のすぐ後で、自らのとる立場を次のように明らかにしています。

 

生きていくうえで大切なもののなかには、商品になると腐敗したり堕落したりするものがあるということだ。したがって、市場がふさわしい場所はどこで、一定の距離を保つべき場所はどこかを決めるには、問題となる善――健康、教育、家庭生活、自然、芸術、市民の義務など――の価値をどう測るべきかを決めなければならない。

(『それをお金で買いますか』 24ページ)

 

 何でもお金で買える世の中になったが、その中には買うこと=商品になることによって、「腐敗」や「堕落」をしてしまうものがある、とサンデル氏は説きます(腐敗や堕落とはどのような状態を指すのか、詳しくは本書をお読みください)。従って、腐敗や堕落を引き起こしてしまうようなところから、市場は一定の距離を保つべきであり、そのためには、問題となるものごとの善の価値を測る必要があると語ります。

 

 本書を読んで筆者の頭に浮かんだのは、近年増えている「退職代行サービス」のことでした。数万円を支払うことで、本人に代わり第三者が勤務先に退職の意思を伝え、手続きを行うこのサービス。本書で紹介される事例の中では、「謝罪の代行」がこれに近いといえます。果たして退職の申し出は、お金で買うべきものか、あるいはそうではないのか? 簡単に是非を決められる問題ではありませんので、読者の皆様もお考えいただければと思います。

 

 『それをお金で買いますか』は、様々な議論を引き起こすことを目的として書かれています。そのため明快な結論を期待して読むと、物足りなさを感じるかもしれません。しかし、唯一の答えがない問題を考えることは、ビジネスパーソンにとって役に立つと筆者は考えます。答えのない問題を様々な角度から考えることで判断力を鍛えることができ、広い視野を身につけられます。

 そうした力を身につけることで、新たなビジネスのアイデア、さらにはよりよい社会を創り出すためのアイデアを生み出すことができるのではないでしょうか。

(編集部・小村)

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 「編集部員が選ぶ今週のPick Up本」は、日々多くのビジネス書を読み込み、その内容を要約している編集部員が、これまでに『TOPPOINT』に掲載した本の中から「いま改めてお薦めしたい本」「再読したい名著」をPick Upし、独自の視点から読みどころを紹介するコーナーです。この記事にご興味を持たれた方は、ぜひその本をご購入のうえ通読されることをお薦めします。きっと、あなたにとって“一読の価値ある本”となることでしょう。このコーナーが、読者の皆さまと良書との出合いのきっかけとなれば幸いです。

2019年4月号掲載

それをお金で買いますか 市場主義の限界

インドの代理母による妊娠代行が6250ドル、米国へ移住する権利が50万ドル。今日、あらゆるものがお金で取引される。市場の論理では、問題ない。だが、何かおかしい ―― 。道徳的な問題をはらむ売買の例を通じ、お金で買うべきではないものについて考える。問いかけるのは、「ハーバード白熱教室」のマイケル・サンデル氏。

著 者:マイケル・サンデル 出版社:早川書房(ハヤカワ文庫) 発行日:2014年11月

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