
先日、自宅でカレーを食べていた時の話です。
我が家には小学生の子どもがいるのですが、辛い食べ物が苦手です。そのため、カレーを作る時には甘口のルーを使います。親は辛さが欲しい時には、自分の皿に盛られたカレーにガラムマサラや七味唐辛子を振りかけて調整しています。
辛さが苦手な子どもに合わせておけば、家族が同じものを食べられる。他の家でもそうしているのかな…。そんなことを考えているうちに、ふと思いました。このシチュエーション、どこかで読んだことがあるな、と。
思い出した本というのは、今回Pick Upする『身銭を切れ 「リスクを生きる」人だけが知っている人生の本質』(ナシーム・ニコラス・タレブ/ダイヤモンド社)です。
タイトルに用いられている「身銭を切る」という言葉は、単に金銭的な話を指しているのではありません。著者のタレブ氏(文筆家、トレーダー、大学教授および研究者という3つの顔を持つ哲学者!)は、「身銭を切る」ことの意味を次のように語ります。
どうすれば実世界との接触を保っていられるのか? ずばり、身銭を切ることだ。つまり、実世界に対してリスクを背負い、よい結果と悪い結果のどちらに対しても、その報いを受けるという意味である。あなたが身に負った切り傷は、学習や発見の助けになる。
(『身銭を切れ』 26ページ)
『身銭を切れ』は、不確実の時代においてリスクと向き合い、価値ある生き方をするための指針を示した良書です。
さて、先ほどのカレーの話に関わるのは、第2章の「少数決原理」について述べた箇所です。まず、少数決原理とは何でしょうか。
大きく身銭を切っている(できれば、魂を捧げている)ある種の非妥協的な少数派集団が、たとえば総人口の3、4パーセントとかいう些細な割合に達しただけで、すべての人が彼らの選好に従わざるをえなくなる。
(『身銭を切れ』 128ページ)
本書では、この法則についてタレブ氏の実体験を交え語られます。例えば、氏が参加したバーベキュー会場では、参加者がユダヤ教徒ばかりではないにもかかわらず、用意された飲み物がすべてコーシャ(ユダヤ教徒が食べてもよいと認められた食品)でした。そこで、タレブ氏は考えます。
すべてをコーシャにすれば、生産者、スーパーの店主、レストランは、コーシャとそれ以外をわざわざ区別しなくてすむ。(中略)そして、全体を変えてしまう単純な法則とは、次のようなものだ。
コーシャ(またはハラル)食品を食べる人々は、コーシャ(ハラル)認定されていない食品を決して食べないが、それ以外の人々がコーシャ食品を食べるぶんには何の問題もない。
(『身銭を切れ』130ページ)
タレブ氏はこの後、少数決原理が政治や宗教にまで適用されることを論じていきます。
多数派が「非妥協的」な少数派に取り込まれるというこの関係。民主主義の中で生きる私たちは、「多数決」の原理で社会が動いていると思いがちですが、「ほんの一握り」の人々が社会を大きく動かすこともあるということに気づかされます。
我が家の場合は、子どもを思いやってカレーを甘口にしているのであり、少数派である子どもが「非妥協的」であるとまでは言えないかもしれません(辛いと食べるのを拒否される可能性はあります)。ですが、友人家族と集まってキャンプに行き、カレーを作るとなった場合、友人たちが私の子どもが甘口しか食べないことを知れば、「少数決原理」が働き、全員が甘口のカレーを食べることになるでしょう。また、同じ地域に我が家と同じ事情で甘口カレーを食べる家庭が多い場合は、近所のスーパーの仕入れに影響を与えるかもしれません。
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タレブ氏は本書において、他の著作『ブラック・スワン――不確実性とリスクの本質』(ダイヤモンド社)や、『反脆弱性――不確実な世界を生き延びる唯一の考え方』(ダイヤモンド社)などと同様に、古今東西の文献を引きつつ自説を展開しています。
私は『身銭を切れ』を読み、まず引用の多様さ、面白さに知的好奇心を大いに刺激されました。はじめは「?」が浮かぶような事例でも、読み進めるうちに、現実の世界はいかに予測できないものであるか、その中で生きる私たちはリスクにどう対処していけばよいか、そうしたことを理解することができました。
人生やビジネスで今すぐ役立つというよりも、物事を考えるための堅牢な足場を自分の中に築いてくれる本と言えるでしょう。
(編集部:小村)
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「編集部員が選ぶ今週のPick Up本」は、日々多くのビジネス書を読み込み、その内容を要約している編集部員が、これまでに『TOPPOINT』に掲載した本の中から「いま改めてお薦めしたい本」「再読したい名著」をPick Upし、独自の視点から読みどころを紹介するコーナーです。この記事にご興味を持たれた方は、ぜひその本をご購入のうえ通読されることをお薦めします。きっと、あなたにとって“一読の価値ある本”となることでしょう。このコーナーが、読者の皆さまと良書との出合いのきっかけとなれば幸いです。
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