2026年3月号掲載
福翁百話
著者紹介
概要
近代の啓蒙思想家・福沢諭吉が、客人らとの雑談をもとにまとめた随筆『福翁百話』。多様なテーマについて縦横自在に語ったこの名著の現代語訳である。浮世の渡り方から、ささいな言動の大切さ、人との交流、金銭と名誉の関係まで。刊行から約130年を経た今も、その言葉は古びず、現代日本を考える手がかりを与えてくれる。
要約
智徳を高め、善く生きる
私はもともと来客好きで、交友関係も広い。そして私は、こうした客との雑談の中で、様々な問題について論じてきた。
浮世を渡る「根本の安心法」
人間の生は、見る影もないウジムシと同じである。50年か70年くらいの時間を、戯て過ごして死んでいく ―― 。それだけの話だから、自分の身の振り方をはじめ、あらゆる物事を軽く捉えて、熱心になりすぎないようにした方がいい。
まして浮世の貧富や苦楽など、言うまでもない。その浮き沈みは一時の戯であって、時が過ぎれば消えていくものである。これを「根本の安心法」として、胸の奥深くに入れ置いておこう。
では、浮世を渡っていく時、これをどのように活かしていけばいいのか。
「ウジムシは、初めからウジムシである」ということだ。たとえ高尚な心があっても、ウジムシたちと雑居していては、高尚な行為をしようにもできない。であるなら、生を愛し、死を憎み、貧富や苦楽といったことで喜んだり悲しんだりしながら、浮世での役目を果たしていくしかない。
では、その役目とは何か。私たちが今日あるのは先人の辛苦の賜物である。その恩に報いるには、さらに辛苦経営して子孫の役に立つようにしなければならない。これが人間の義務というものだ。
辛苦経営というのは、ただ自身一人のための行為ではない。父母のため、夫婦のため、子供のため、友達のためであったりもする。さらに進めて考えれば、広く世の中のためにすることも多い。このようなことになって、初めて人間の世渡りにおける「本分を尽くした」といえるだろう。
「人生は戯」とわかれば、動揺もしない
「人生は戯」と言いながら「辛苦経営をせよ」と勧めるなど、つじつまが合わないような気もする。しかし、もともと人間の心は広大無辺なものであるから、理屈の外側で悠然とした考え方を得るというのは、よくあることなのだ。
例えば、木造の家の中で火を扱っていれば、時に家が焼けてしまうのは当然のことである。そこに驚く理由はないなら、そのままにしておけばよさそうなものだ。それでも火事の時には大慌てで燃え広がるのを防ぐ。これこそ人情の常である。
一方から見れば、驚くに値しないから、平気でいるのが道理である。しかし別の一面において、実際に我が身に起こった時には驚かないわけにはいかない。いや、こういう時に驚く人こそ、人間の本分を尽くしているといえるだろう。人の心が2つに分かれるような現象であるが、1つの心が別々に2つの気持ちを抱くことはよくある。
人生を戯と認めながら、その戯をたゆまず本気で勤める。たゆまないからこそ、安定した社会を作っていく上で役に立つ。同時に、本当は戯だとわかっているからこそ、大きな節目で動揺することがない。そして、後悔することも悲しむこともないから、心の安らぎが得られるのである。