2025年11月号掲載

自殺について 他四篇

Original Title :PARERGA UND PARALIPOMENA:KLEINE PHILOSOPHISCHE SCHRIFTEN (1851年刊)

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著者紹介

概要

ドイツの哲学者、ショウペンハウエルの“哲学随筆集”である。「幸福な人生など不可能」「生きんとする意志の一切の努力は虚無的」など、生と死をめぐる論考を収録。厭世哲学的に透徹した洞察が、随筆的に親しみやすい形で語られ、人々に愛読されてきた。その考察は、今を生きる私たちにも、貴重な気づきを与えてくれるだろう。

要約

現存在の虚無性

 我々の人生のあらゆる出来事は、ただ一瞬だけ「ある」。その後は永久に「あった」になる。我々の短い生涯のこの疾過を眼のあたりにする時、恐らく我々は狂気にかられるであろう。

 以上のような考察の基礎の上に、人々は次のような教説を築きうるであろう。

 ―― 現在を享楽すること、そしてそういう享楽を人生の目的とすること、これが最高の智慧である。何故なら、現在だけが実在的なもので、他の一切は虚妄にすぎないのだから。けれども、それを最高の愚鈍と名づけることもできよう。何故なら、すぐその次の瞬間にはなくなってしまうようなもの、あたかも夢のように跡形もなく消え去ってしまうようなもの、は断じて真剣な努力に価いしないものなのだから。

幸福な人間は誰もいない

 我々の現存在は、かなたへと消えてゆく現在以外に何らの基盤をもってはいない。それ故に、我々が絶えず希求している安静の可能性はそこにはない。我々の現存在は、いわば山道を駆けおりている人間の足どりに似ている。彼はもし途中で立ちとどまろうとすれば倒れるに違いないのだから、身を支えているためには絶えず駆け続けているほかはないのである。

 こういうわけで、動揺ということが現存在の原型なのである。そこにはどのような種類の安定性も、持続的などのような状態もありえず、一切がいそぎゆき、飛び去り、かたときも歩みと動きとをやめないことによってのみ綱の上に辛うじて身を保っておれるようなこの世界の中では、幸福などということは考えることさえできない。

 早い話が、幸福な人間は誰もいない。ただ誰もが自分の思いこんだ幸福を目指して生涯努力し続けるのであるが、それに到達することは稀である。また、到達するとしても、味わうものは幻滅だけである。普通は、誰もが結局は難破し、マストをうち砕かれて、港の中にはいっていく。

 もしそうだとすれば、要するに持続のない現在だけから成り立っていたこの人生、そうしていまや終わりを告げたこの人生において、自分が一体幸福であったかそれとも不幸であったかなどということは、結局どうでもいいことなのではないか。

欲求は永遠に充たされないまま続く

 我々の人生の場景は、粗いモザイックの絵に似ている。この絵を美しいと見るためには、それから遠く離れている必要がある。間近にいては、それは何の印象をも与えない。それと同じ道理で、何かしら憧れていたものを手に入れることは、それを空しいと覚ることである。こうして我々は、いつもより良いものを待ち望んで生きている。

 こういう次第であるから、たいていの人達は、晩年に及んでおのが生涯を振り返ってみた場合、自分は自分の全生涯を全く行き当たりばったりに生きてきてしまったという風に感ずるようになる。

 そうして、自分があんなにも無雑作に味わいもせずに通りすごしたものこそ、実は自分の生命だったのであり、それこそ自分が待ち望んで生きてきた当のものにほかならなかったことを知って、訝かることであろう。このようにして、通例、人間の生涯とは、希望に欺かれて死のかいなに飛び込む、というこのことにほかならないのである。

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