2025年10月号掲載
人間不平等起原論
Original Title :DISCOURS SUR L’ORIGINE DE L’INÉGALITÉ PARMI LES HOMMES (1755年刊)
著者紹介
概要
かつて人は、不平等がほとんどない「自然状態」にあった。だが、社会化が進み、人間が進歩すると、「徳なき名誉、知恵なき理性、幸福なき快楽」だけを持つ存在に堕落する ―― 。フランスの思想家ルソーが著した政治哲学の古典的名著である。不平等が生じる原因をたどり、人間とは何か、自然との関係はどうあるべきかを問う。
要約
第1部
私は、人類の中に2種類の不平等を考える。
その1つを、私は「自然的または身体的不平等」と名づける。それは自然によって定められるものであって、年齢や健康や体力の差と、精神あるいは魂の質の差から成りたっているからである。
もう1つは、一種の約束に依存し、人々の合意によって定められるか、少なくとも許容されるものだから、これを「社会的あるいは政治的不平等」と名づけることができる。
これは、いくらかの人々が他の人たちの利益に反して享受している様々な特権、例えば、富裕である、勢力があるとか、さらには彼らを自分に服従させるというような特権から成りたっている。
人は自然的不平等の源泉は何かと尋ねることはできない。なぜなら、この語の定義そのものの中に、その答えが言い表されているからである。
不幸の大部分は我々自身の仕業
人間にとって恐るべき敵は、生まれながらの病弱と幼少と老衰とあらゆる種類の病気である。それは我々の弱さの悲しい印であり、その始めの2つはすべての動物に共通であるが、最後のものは主として社会生活をする人間に属している。
それにしても、多くの病気に我々がかかるのは、一体どうしたことなのであろうか。
生活様式における極端な不平等、ある人々には過度の余暇、他の人々には過度の労働、富者を不消化で苦しめる美食、貧者の粗食、さらには夜更し、その他あらゆる種類の不節制、情念の過度の激発、精神の疲労困憊、あらゆる身分で人々が経験し、魂が永遠に蝕まれる無数の悲哀と苦痛。
これこそ、我々の不幸の大部分が我々自身の仕業であること、従って我々が自然によって命じられた簡素で一様で孤独な生活様式を守っていたとしたら、恐らくはこれらはほとんどすべて避けられただろうことの忌まわしい証拠である。
未開人の立派な体格を考えてみると、また、彼らが怪我と老衰以外にほとんど病気を知らないということがわかってみると、人間の病気の歴史は政治社会の歴史をたどることによって容易に編むことができるだろうと思いたくなる。
自由の意識
以上、身体的な人間を考察した。今度は人間を形而上学的および道徳的側面から眺めてみよう。