2020年8月号掲載

教育現場は困ってる 薄っぺらな大人をつくる実学志向

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著者紹介

概要

教育は子どもたちの人生を左右する。ゆえに、安易な教育改革は避けるべきだ ―― 。高校で契約書の読み方を学ばせるなど、実学志向を強める教育界。だが、こうした改革は「薄っぺらいのに自信満々な人間」を生み出しかねない。そう警鐘を鳴らす著者が、知識や教養の重要性を説き、日本の価値観に合った教育のあり方を示す。

要約

「授業が楽しい」だけでよいのか

 教育改革という言葉をニュースでよく目にするが、いま行われている改革は、改善なのか改悪なのか ―― 。教育の場に長く身を置く者としては、この動きを素直に受け入れる気になれない。

「英語が楽しい」という調査結果についての誤解

 例えば、英語を小学校で教えるということ。専門家の多くが反対しているにもかかわらず、2020年度から本格的に始まることとなった。

 それに先行して、英会話を中心にした英語活動が高学年を対象に行われているが、その時間を楽しいという子どもたちは多いという。ベネッセが2015年に全国の小学5・6年生を対象にした調査によれば、「他の教科と比べて英語は面白い」という子が71.5%となっている。

 そうした声を聞くと、英語の授業を小学校で行うのはよいことのように思える。だが、こうしたデータを根拠に小学校での英語教育を推進するのは危険である。なぜなら、現在行われている活動は、簡単な英語を使ってゲームをしたり歌を歌ったりするもので、決して勉強ではない。遊びのようなものであり、知的鍛錬にも教養にもならない。

 このように、最近「楽しいかどうか」にとらわれすぎる風潮が強まっているように思える。

実用的な授業への転換がもたらしたもの

 いくら知識を詰め込んでも、それを現実生活に応用できなければ意味がないとのことから、知識偏重の教育からの脱却が唱えられ、様々な教育改革が行われてきた。その1つに英語の授業の会話重視への転換があった。1993年以降、読解・文法中心から会話中心に転換してきた。

 その結果、何が起こっているか ―― 。

 公立高校の入試問題について、20万人のデータをもとに、英語の学力の経年変化を検討した研究によると、1995~2008年の14年間、毎年一貫して低下していることが判明したのだ。

 英語の授業を受けても、全然しゃべれるようにならないから、教育の大転換が行われたわけだが、そこに大きな勘違いがあった。学校の授業は、単に実用のために受けるものではなく、頭の鍛錬、知的発達の促進のために受けるものなのである。

 会話に使える言い回しや発音のハウツーを習うばかりでは、英語で書かれた文学や評論を訳す時のような知的鍛錬にならない。思考の道具である国語力も向上せず、思考力は磨かれない。

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