2017年2月号掲載

日本文化のゆくえ

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著者紹介

概要

人間が本当に自由を望むなら、家族などむしろ邪魔になるのでは。家族の意味はどこにあるのか ―― 。臨床心理学者の河合隼雄氏が、家族をはじめ、社会や個人にまつわる様々な問題を考察した。十数年前に刊行された書の文庫版だが、独自の視点で現代日本の問題を深部から分析し、やさしく示したその内容は、今も示唆に富む。

要約

「私」探し

 最近、「自分探し」という言葉をよく見聞きする。人間が自分のことに関心をもつのは当然のように思えるが、実はこのような傾向は新しい。

 一昔前であれば、「私」以外のことに関心をもつ人が多かった。多くの男は「会社のために」頑張ることを第一義とし、母親は「子どものために」は我が身のことをかえりみない生き方をした。

 しかし、今は自分探しの流行である。なぜか。

「私」の発見

 現在の日本において、自分探しが流行するもとに、西洋近代に成立した個人主義がある。

 強力な自我をもった個人が、自分の主体性を大切にして生きていく。つまり、発想の出発点に自分を置くわけである。これは日本古来の生き方と比べると、画期的な変革である。

 日本人はこれまで、家族のことを考えたり、世間の目を気にしたりして、自分の好きなことをするのを断念する生き方をしてきたが、西洋の個人主義に触れて、それを徐々に取り入れてきた。

 そして戦後の民主主義の時代になって、以前よりずっと「私」を大事にするようになった。だが、それは欧米の個人主義に比してまだまだ異なるものであった。欧米の真似をしているつもりで、それと異なることをしてきたこともあって、今ひとつの行きづまりを体験しつつあり、それが最近の自分探しの流行に結びついてきたように思う。

 現在は日本の経済的成長が止まり、これまで頼りにしていた企業が頼り甲斐のないことが、リストラなどで明らかになった。こうなると、頼れるのは自分しかない。外へ外へと向かっていた関心が内に向き、自分探しということが大切になる。

「私」を支えるもの

 「私が私について考える」際、どうしても不問にできない点がある。それは、人間は何らかの自分の「支え」を必要とするということだ。私が私のことを考える際に、私というものが何かによって支えられていると感じない限り、不安になる。

 あるいは、次のようにも言えるだろう。「私」はこの世に存在している。それがいかに大切と考えても死んだらどうなるのか。死で消滅するなら、この世に存在して、その間に好きなことをしたといっても何になるのか。極めて限定された「私」という存在が、何らかの永続性をもったものと関連づけられないと安心して生きられない。

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