2016年12月号掲載

帝王学 「貞観政要」の読み方

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著者紹介

概要

副題は「『貞観政要』の読み方」。中国・唐代に編纂されて以来、多くのリーダーに読み継がれてきた名著の成り立ち、そして示唆に富む内容を、評論家の山本七平氏が解説する。敵の忠臣を登用せよ、部下の諌言を聞き入れよ…。指導者のあるべき姿、組織の活性化の仕方などが学べる、1983年刊のベストセラーの文庫版である。

要約

『貞観政要』とは?

 『貞観政要』 ―― 。この本は実に、平安時代から一貫して、日本人の「リーダー学」の教科書であった。様々なリーダーが、本書によって、リーダーはいかにあるべきか、どのようにしなければ終わりを全うできないかを学んだ。おそらく日本で、最も長く読み継がれてきた本であろう。

 では、様々な面で日本に深い影響を与えた『貞観政要』とはどのような本で、誰が、いつ頃、何のために記したのであろうか。これについては、唐の太宗とその没後の歴史を記す必要がある。

 唐の太宗は24年間帝位にあり、唐の基礎はこの時に確立されたといってもよい。だが太宗の死後、その後を継いだ高宗は病弱で、皇后が政務を決裁する結果となった。これが有名な、後の則天武后である。

 高宗が死ぬと幼少の中宗が立てられ、間もなく廃せられて睿宗が立てられたが、この睿宗も帝位から降ろされ、則天武后が自ら皇帝と称し、国号を周と改めた。中国史で唯一の「女帝」の出現である。

 唐の元老たちは雌伏しつつ武后に仕え、時機の来るのを待っていた。そして神竜元年(705年)武后に迫って位を中宗に譲らせた。

 ここで史官の呉兢が、再び、太宗の時代のような立派な政治を望んで、この『貞観政要』を編纂し、中宗に献じた。

 では、呉兢とはどのような人なのか。

 彼は、中宗・玄宗時代の史臣で、『貞観政要』の主人公である太宗の死後十余年の生まれである。史料によく通じていて、絶対に筆を曲げない硬骨の史家として有名であった。太宗のことを決して美化しておらず、欠点も多く、多くの過ちを犯した人と記している。

 

「十思」「九徳」:身につけるべき心構え

 『貞観政要』には、太宗と彼を補佐した重臣たちとの問答が記されている。

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