2006年1月号掲載

禅語遊心

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著者紹介

概要

生きていく上で身につけてきた常識を脱ぎ、精神をより自由にしてみたい ―― 。本書では、そうした生き方・暮らし方のヒントとなる禅語の数々を、季節の移ろいに沿った章立てで紹介。それぞれの文章には老師直筆の墨跡が添えられ、それが言葉に一層の存在感、現実味をもたらしている。夜の長いこの季節、禅と自然との親和性を感じつつ、じっくり味わいたい1冊。

要約

季節を巡り、禅語を味わう

 “床の間”はその昔、武士が毎日の予定を貼り出した場所だったらしい。その後は仏像が祀られたり、禅僧の墨跡などが掛けられ、茶道や花道、香道の中心的な場所であり続けた。いわば、その場を視る視点を提供しており、人は長期的な人生の指針をも、床の間から受け止めていたのだ。

 視点を持たないと、人はものを見ることも考えることもできない。これは、全く塵のない空気をいくら冷やしても、きれいな六角形の結晶ができないことに似ている。雪も霰も、芯になる塵や埃がないと結晶化しないのである。

 床の間に飾られる禅語は、人生に意義を与え、1つの結晶にするための塵埃のようなものである。

 この塵埃、つまり言葉は、そういう見方があることを知り、実践し、習慣化したならば、後は捨ててよい。むしろ、捨てるために学ぶのである。

松樹千年の翠 —— 1月

 よく茶席などでも見かける言葉であり、読んで字の如く、変わらぬ松の緑を讃えている。

 この季節、落葉して葉のない木が多い。そんな中で相変わらずに見える松の姿に、人間の恒心を見てとっているのだろう。

 禅寺に松が多いのは、「巌谷に松を栽」えた臨済禅師にもちなんでいる。そこでの松は永劫に教えを伝えるべき弟子、あるいは教えそのものを象徴しているのだが、そればかりではなく、やはり人は変わらぬものをどこかで求めているのだ。

 諸行無常が世の習いなら、松も変わらぬはずはない。人知れず葉を入れ替える。ただそれを人に見せない人生態度が尊ばれるということだろう。

 この恒心といい、相手を庇っての枝折れといい、ここには儒教的価値観が強く反映している。

 確かに中国での公式宗教は儒教の時代が長いから、禅にも知らず知らず入ってきているのだろう。「仁」や「義」が、松の木からは匂うのである。

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