2026年7月号掲載
戦後日本経済史
著者紹介
概要
1945年の終戦から80年。この間、日本は空前の高度成長を遂げた後、1995年を境に長期停滞に陥った。なぜ日本経済は失速したのか。アベノミクスや円安政策が経済成長につながらなかった理由とは。その原因を、隆盛と衰退を経験した経済学者・野口悠紀雄氏が探る。さらに“老いる日本”が、今後直面する課題についても論じる。
要約
1995年:日本病の始まり
第2次世界大戦後、日本は復興を遂げ、1950年代半ばから奇跡的な高度成長を実現した。
だが、戦後50年を経た1995年に、それまで成長を示していた多くの経済指標が突然、成長を停止。顕著な屈折を示すようになった。
まずGDPが増えなくなった。法人企業統計調査で見る企業の売上高も、従業員の給与・賞与や営業利益も頭打ちになった。
その停滞状態は現在に至るまで続いている。つまり、この時点が日本病の始まりだった。
世界の大きな変化に対応できなかった日本
なぜ、このように顕著な成長率の屈折が急激に生じたのか?
成長停止という急激な変化は、株価バブルの崩壊で引き起こされたと一般には考えられている。だが、株価バブルの崩壊は1990年で、成長率屈折時点である95年までにタイムラグがある。
日本経済の成長率を屈折させた基本的原因。それは、1980~90年代に生じた世界経済の変化に、日本が対応できなかったことだ。
その大きな変化とは、「中国の工業化」と「IT革命」だ。この2つの変化に日本が対応できなかったため、日本経済は長期停滞に陥ったのだ。
例えば中国の工業化でいえば、1980~90年代、鉄鋼や石油化学などの分野で中国の生産・輸出シェアが増え、日本のシェアが減っている。日本の製造業は、中国の安い賃金には太刀打ちできないのだ。だから必要なのは、新しい産業を見つけることだった。アメリカがIT革命を実現したように。しかし、日本はそれをしなかった。
日本は世界経済の構造変化に対応できなかった。その意味で、これは政策の失敗だ。その失敗が現在に至るまで続いているのである。
中国の台頭のため日本の製造業の伸びが止まり、金融機関から製造業への融資が停滞し、それを補うために金融機関は土地投機を行った。それがバブルを引き起こし、そしてバブルは根拠のない投機によるものであるため、必然的に崩壊したのだ。