2016年1月号掲載
「空気」の研究
- 著者
- 出版社
- 発行日1983年10月25日
- 定価550円
- ページ数237ページ
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著者紹介
概要
日本人が物事を決める際、「論理的判断の基準」と「空気的判断の基準」の2つの基準があるという。後者の力は強大で、いかに論理的に検討しても、最終的には場の“空気”で決まることが多い。絶対権威のように人々を拘束する力を持つ、空気。日本独特のこの怪物の正体を、作家・評論家の山本七平氏が暴く。
要約
「空気」に支配される日本人
「空気」 ―― これは、ある状態を示すまことに的確な表現である。
人は、無色透明でその存在を意識的に確認できにくい空気に拘束されている。
「ああいう決定になったことに非難はあるが、当時の会議の空気では…」「あの頃の社会全般の空気も知らずに批判されても…」「その場の空気も知らずに偉そうなことを言うな」等々、至る所で人々は、何かの最終的決定者は「人ではなく空気」である、と言っている。
その場の「空気」がものごとを決める
「文藝春秋」昭和50年8月号の『戦艦大和』(吉田満監修構成)でも、「全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う」という発言がでてくる。
この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人々にはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確な根拠がある。
だが一方、出撃を当然とする方の主張はそういったデータや根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら「空気」なのである。
ここで注意すべきことは、そこに登場するのが皆、海も船も空も知りつくした専門家だけであって、素人の意見は介入していないこと。そして米軍という相手は、昭和16年以来戦い続けており、相手の実力も完全に知っていること。いわばベテランのエリート集団の判断であって、無知・情報不足による錯誤は考えられないことである。
まず、サイパン陥落時に大和出撃の案が出されるが、軍令部は到達までの困難と、到達しても機関、電力などが無傷でなくては主砲の射撃が行いえないこと等を理由にこれを退けた。
従って理屈から言えば、沖縄の場合、サイパンの場合と違って「無傷で到達できる」という判断、その判断を裏付けるデータがない限り、大和出撃は論理的にはありえない。
だがそういう変化はあったとは思えない。従ってこれは、サイパン時になかった空気が沖縄時には生じ、その空気が決定したと考える以外にない。
では、これに対する最高責任者、連合艦隊司令長官の戦後の言葉はどうか。